Milestones

節目にあたって執筆した文章

2021.9

筑波大学附属駒場中・高等学校同窓会 若葉会会報 第89号「卒業一年の仲間より」

傷と共生する時代へ

 新たな視点の獲得というといかにも卒業初年らしいテーマですが、最近『24時間テレビ』についてこれを実感する機会がありました。弟が発達障がいを持ち特別支援学級に通う一面も持つと意識させられる事が増えてきた中で、従来軽視してきたこの番組の“伝える”役割こそが直接的な支援たる募金以上に肝要と捉えるようになったのです。


 今年の『24~』は支援級を原則撤廃したイタリアの例を挙げ日本のインクルーシブ学童を紹介していましたが、実際支援級に在籍する子やその家庭の直面する問題を知る人はどの程度いるでしょうか?たとえばそこには、通う学校は同じなのに教科書をそもそも貰えない――住む地域の公立校を見ると、わざわざ「非・普通学級」に括らなければ合理的配慮を得られない事自体不自然であり合理的配慮の中身も至極雑と感じます――といった教育面の問題。小中学校の支援級から特別支援学校高等部に進学し卒業しても半数以上は社会福祉施設等への通所を選ぶ事になり、その一つである就労継続支援A型の月間工賃は約8万円で障害年金と組み合わせても自立した生活が難しい場合も多いといった経済面の問題。子ども本人のパニックへの対処、自分自身の差別心との葛藤、社会の不寛容への直面、家庭内での認識の齟齬等による想像以上に複雑な心理面の問題……こうした問題があるのです。 私は、こういった課題を深刻と感じやすいのは言いづらさにも起因していると思います。傷は閉鎖的な環境・少ない人数で見つめるほど鬱積して実像が見えなくなります。家庭内の会話でも「空気」が悪くなるのを恐れて一切話題に挙がらなくなる事はありますし、状況を共有していない外部の人となら尚更話しづらいものです。だから私はテレビに限らず外に大きく開かれた語りの場を提供するメディアの力を信じるのです。またそもそも発達障がいは知見があまり確立しておらず性質上普遍的な向き合い方も提示しづらく参考になる情報が少ない事から、知る面でもメディアの力を借りたくなるのです。 勿論、「画にならない」人の排除を伴う「困難を抱えている人達」像を見せるなどの危うさを孕むメディアに当事者全員が解決の糸口を求める訳ではありません。しかし、自覚の有無の差はあれど何らかの傷を持ち“語れなさ”による痛みを生みやすい状態にある所までは、当事者全員ひいては世界中誰しもに共通するのではないでしょうか。複雑な傷を端的に表した“HSP”などの言葉が生まれる背景にはこの“語れなさ”があると思います。傷はこうして文にすると負の側面しか持たないように見えますし、実際に目の前の課題に向き合う必要はありますが、それはそれとして人生における前向きな価値転換を齎す面もまた持っており一様に評価を下せません。しかし、私たちは、傷が比較不能である事を忘れ自分の傷が他人より小さく見えるからと引っ込めたり、傷を語るのは惨めと捉えたり、世の中にある傷を「ネタ」化するなど傷についての語りは自分には無縁という発想に陥ったりしがちです。こうして発話の躊躇や聞き手の役割の軽視が生じた場合、厄介な“語れない”痛みを生み、長短あった傷が単なる悪いものへと傾きかねません。


 卒業して早半年、学校目標の掲げる創造・挑戦・貢献を社会で実践する事を考えるようになりました。この文言はいかなるものにも囚われない「強さ」を求めるものですが、あまりにも他人に対して鈍感な「強さ」はもう要りません。私たちが経験し、“総障がい者化”といわれる事もあるコロナ禍は、自分の傷を見つめ、誰もが不意に傷を持ち得ると知り、他人の隠れた傷への想像力を養った出来事とも表現できます。その後を生きる中で、まずは傷が各々異なる事を認めつつそれでも丁寧に分かり合おうとする事。語りたい時は傷を語る事。他人の語りに対しては、傷の責任の所在や今後どうすべきかという過去や未来への眼差しを一旦切り離し、現在に即した共感第一の姿勢(=相手に成り代わって相手の状況の良し悪しを判定せず相手の解釈ごと受け取る態度)で臨み――その姿勢は自然と言動に滲み出るはずです――、共感なき助言という押しつけをしない事。話し手と聞き手の間に共通の基盤としての“より良い未来への祈り”を切り拓く事。同時に、何でも自己責任で片付けるのはダメとぼんやり思うだけの所から脱却して新しい社会のあり方を構想する際に、迅速に明確なビジョンを示さねば無意味という効率主義的な強迫観念に囚われる事なく地道に、安全な領域に逃げて俯瞰した気にならず当事者意識を持って本気で、懸命に行動する人の動機を邪推して単なる利己的な利益追求とみなしたり自己満足と笑い飛ばしたりして芽を潰そうとするのではなく寛容かつ正面からの対話に徹する事。この為に何をどう工夫すべきか……?筑駒での教えを糧に、大きくも身近な問いに立ち向かう時が来ようとしています。

2021.

パンデミック下での筑波大学附属駒場中・高等学校卒業にあたって

高3文化祭に対して

誰も予想しなかったパンデミックによって、高3の1年間は様々な場面で我慢を強いられることとなりました。三大行事で唯一生徒全員が参加する形で開催できた文化祭でさえ望む形とあまりにかけ離れており、大人に対して限りない不信を持つこともありました。Adobeソフトの普及に伴い制作物の質が著しく向上し、またここ10年の文化祭を代表する新企画である筑駒メッセを中心に自己表現の場としての文化祭というあり方が生徒間でも自覚され始め、いよいよ新しい2020年代の幕開けというタイミングでの規模縮小だったこともあって、絶望感は果てしなく深いものでした。


 結果としては何とか終えられた文化祭でしたが、コロナ禍によって実地開催する・しない、感染対策が十分・十分でないの議論やその成否ばかりに目が行き、全校生徒それぞれが自分なりに創造した中身に対して他の生徒や教員が関心とリスペクトを持ちその気持ちを伝える意識がいささか希薄になっていたように思います。各自の創造活動は、文化祭や学校という大きなものに貢献したりいかにも市場的な“数字”になったりして初めて褒められるようなものではなく、あくまで個々の中身をもって評価されるべきであり、また文化祭という大枠自体がどんな形になろうとも全面的に保障されるべきです(昨今の文化芸術への風向きを見ていると、日本社会全体として「流通価値」ばかりが重んじられ「文学価値」が軽んじられているような気がしており、どうかそのような流れに安易に取り込れないでほしいと願いながら、在学中は文化祭と向き合ってきたつもりです)。


 老婆心ながら、とりわけ初めて何かに挑戦をした低学年の生徒に対して制作上の頑張りを讃えて各人に市民権を与える意識が希薄な状態が続けば、筑駒という学校で新たな挑戦は生まれなくなるのではないかとひそかに危惧しています。また、この一連の問題はこう捉えることもできるでしょう。元々個人の創造活動ばかり見ていて文化祭全体のビジョンを持ち合わせていなかったが、コロナ禍になって急に180度転換し全体ばかり見て創造活動を見なくなった、要するに単眼的な態度であるという点でコロナ禍以前から既に問題を抱えた状態だった……と。コロナ禍に高3だった者として、またコロナ禍以前文化祭実行委員だった者として、学校や文化祭を見つめるマクロな視点と各自の創造活動を見つめるミクロな視点を併せ持つ意識を持ち、その重要性とともに後代に引き継ぐことができていたか、自問自答する日々が今も続いています。

祈り

パンデミックという災禍にあって、あまりにも切迫した状況や人間の弱さを目にし、未来を憂う日が増えるようになりました。そうした中で、頭の中に浮かんできたのが「祈り」という言葉でした。去年の夏、キー局の音楽特番で東大寺から歌を披露したMISIAが「ここに足を踏み入れた瞬間にすごい力を感じて。何なんだろうこの力はって。やはり、人々が思い合って生きていけますようにって、それこそ力になりますよっていう願いが込められた場所なんだって。それをすごくここで感じたんだなって。ここで歌う意義を改めて強く感じましたし、祈りを強く持ちました」と述べるなど、この時代において「祈り」の存在感は確かに増しているように感じています。

なんとか実施する見込みが立っていた文化祭も、1人感染者が出たら開催が難しくなるかもしれません。いくら感染対策を徹底していてもいつどこで感染するか分からない以上、それはもしかしたら自分かもしれません。そうした状況の中で、とにかく「祈るしかない」「些細なことに希望を託すしかない」と思うことが増えるようになりました。こうした中で、表面上は様々な心のあり方を尊重しつつも、「祈りというものはごく一部の特定の人達にだけ必要なもので、無駄で無意味な自己満足にすぎない」だとか「信仰をもたないこそが『まっとうな』『ふつうの』人間の証である」などと心のどこかで思っていたのではないか、と自分自身を見つめ直す機会も増えました。

自分を見つめ直していく中で、高い再発率を目の前にして「就職してから再度病気を再発したら休職になり得る、『全治〇か月』がはっきりしない中でそうなったら収入はどうなるのか」といった不安もよぎったこともあって、祈りを否定したがる考えに至るのは日頃私の安住している「ほぼ絶対的な安定」という一種の特権的な要素を持つ暮らしが背景にあるものであって、明日自分が生きている自信がない、今日生きる意味をいちいち考えなくてはいけないほど苦痛に押し殺される 、そういう状況の人もいる中で「祈りは無意味」と切り捨ててしまうのはあまりにも生き続けるための機能という祈りの重要な側面を軽視していないかと思うようになりました。

人間は、「生物としては生きているのに人として生きられない」ことを大きな苦痛と感じます。生活が安定していて、自粛をしていても別に死にはしない人がむしろ感染リスクを冒してまで誰かと外へ出かける、これは人として生きられないことを嫌がる人間の特性の証左でしょう(もちろん、自粛をしている人の中には、「人として生きる」ことの中に「回避可能かつ危険性が予め明瞭に示されている自分の行動によって人を殺すリスクを冒さない」を含む人もいて、その場合は安易にリスクを冒すことのほうが人として生きていないことになるでしょうが)。

祈りには、死という状態そのものを回避する力はありません。しかし、苦しい時でも人として生きるために頭の中にある最低限の理想と現実との隔絶という、いつ自分が切り離されて奈落の底へ落ちていってしまうか分からない脅威に目を向けて警戒しながらその隔絶をなんとかつなぎとめる闘い、自分が向き合っているものを「苦しみの無意義」から「苦しみ」へと昇華させる闘い、そこには 現実の側に立つ経済学や法学、医学というより、苦しみの意義の理解にも繋がる思考や言葉という一種の接着剤を与えてくれる祈りや文学といったものが必要になると思うのです。そして、その闘いを無駄だといって切り捨てることは、それこそ人として生きていくことの軽視であり、「生物としては生きているのに人として生きられない」苦痛を誰かに浴びせることを厭わない、すなわち半殺しを厭わないことと何ら変わらないと思います。

他人を想う

道徳の授業をはじめとし「他人の命は大事である」と教えられてきた以上、自分たちはきちんとそういうことを理解していると、どこか油断していたのかもしれません。京アニ事件のことはいまもなお弔う一方で相模原殺傷事件のことは忘れてしまう、そういうところからも既に見えていたことではありましたが、「他人の命への思慮というスローガンが少なからず自分のどこかには刻まれていてストッパーとしての役割を果たしている」という考えは幻想にすぎないということが、コロナ禍において最も残酷な形で気づかされたように思います。これも、パンデミックを通じて明らかになってしまった人間の弱さです。身近な人に対していくら言葉を尽くしていても、結局は自分の命のことしか考えず、「自分はかかってもなんとかなるから」「自己責任だから」と小声で言い訳をして外に出ていく自分の姿が脳裏をよぎります。その行動が誰かの命を奪う可能性が明示されているにもかかわらず……。

「自己責任」という言葉は、一つの出来事が起きた後、明らかにその人の責任ではない出来事の責任を無理やり取らせる形で誰かの「冤罪」を生むだけでなく、ここで挙げたように、出来事が起きる前の段階で、一人で行動を取る際に伴う「他の人にも被害が及ぶ出来事に繋がり得る」というリスクが矮小化されて自分を他人から切り離した身勝手な判断が出来るようになってしまうリスクを持つ言葉であり、この情勢下では厳に慎むべきでしょうが、ついつい使ってしまうものです。

少し話が逸れましたが、こういった中で人間のもつ「想い」への信用は、自分の中で確かに失われていきました。そうした「想い」への信用の失墜によって、感染者が絶対に出ないように対策を徹底することと、いざ感染者が出て行事が中止になるなどした場合にその人に対して責めの感情を一切持たないこと、その両立がちゃんと出来るのか、また自分が感染者になった場合に周りからしてもらえるのか、半信半疑にもなりました。

しかし、だからといって、そこで安易に「どうせ人間なんてこうなんだから」と開き直るのでは、未来も何もありません。「他人の命の大切さ」への思慮をはじめとする「想い」は崩れやすい虚構にすぎないと知る現実的なスタンスをとりながらも、簡単に崩れるものだからこそ、それが完全に崩れてしまいこの星がただの無法地帯になってしまわないように気を張ってその虚構を必死で守り抜くことが、コロナ禍以後を(とりわけ「大人」として)生きる者の使命だと思っています。人は必ず何らかの基盤をもとにして分かり合えるものであり愛をもって和解の境地に達することが出来るという夢を、夢と知りながら改めて信じ直すことが今は必要でしょう。

2024.12

早稲田祭2024運営スタッフ 開発局スペクタキュラー班 活動終了によせて

班員としての皆さんへ

 まずは本当にありがとうございました。一年間を通して、自分のわがままをたくさん聞いてもらいました。監督の特権でもって、時間をかけて作ってもらったプランをなし崩しにしたり、偏執的なこだわりでもって突っぱねたり、他部署から深刻に非難されるようなこともしてきました。もっとうまく立ち回れたのではないかと自分でも思いますが、何度戻っても同じ方法を選ぶ(選んでしまう)という確信がどうしても勝ってしまいます。

 それはなぜかというと、この企画の要所要所に「譲れない一線」が潜んでいたからです。そこで譲ってしまったら、自分が責任者という立場で続けようとはまったく思えない。そんなものにするぐらいなら他の人間がやればいい。自分で引いたはずの一線が気づけばとてつもなく増えていて、自分で自分に振り回されているような感覚すら覚えるような、そんな道のたどり方をしてきたように思います。

 旧プロジェクションマッピング企画からスペクタキュラー企画に名を変え、班を立てる際自分が意識したのは、この集団を「私党」にしないということでした。統括が主役の物語でしかない班にはしたくない。「自分はこんなことを成し遂げられた」「自分はこんなつながりをつくることができた」、そんな、皆それぞれの語りが生まれてくるような班にしたい。そう思っていました。

 では果たして、24スペクタキュラー班はそうなっていたでしょうか。結局のところ私党から脱却できなかった側面もあるかもしれません。そもそも脱却しようとしてすらいなかったかもしれません。皆さんの中には、今年の組織運営に対して不満もあろうかと思います。

 でも、一つだけお願いさせてください。そうした不満は、自分に共有する必要はありません。というか、共有しないでください。指摘されうるような歪さにはある程度自覚的であるつもりですし、それ以前に今の私が知ったところでどうしようもないからです。突き放すような言い方になりますが、既に幕を閉じたものの不満をわざわざ伝えるその時間があるなら、「これ」を超えるものを、これからのあなたの人生で生み出す方法を考えてください。いくらでも私を、そして私が班長であった24スペクタキュラー班を、仮想敵にしていただいてかまいません。大学という場でもそうじゃなくても、なんでもいいのであなたの納得のいく舞台をつくりあげてください。それをいち観客として観させてください。それに最大限の賛辞を送らせてください。

 新規の皆さんに限って伝えるとすれば、開発局は自分の舞台をつくる上で絶好の場所です。既存の企画をそっくりそのまま焼き直せば確実に合格点は取れるかもしれません。社会で求められるのはそういう賢さかもしれません。これまでの人生でそれが善だと思わされてきた人もいるかもしれません。でも、それよりも赤点をとるリスクを承知のうえで能力の限界ぎりぎりまで挑み、満点のさらに上を目指すほうを美とする精神性がこの局にはあります。誰がやっても確実に成功できそうなことなんて、あなたがわざわざ貴重な時間をかけてやる必要はありません。「なぜあなたはそれでもこれをやるのか?」という視線を絶えず跳ね除けられるような、強固な自我(エゴ)が滲んだ企画を作っていってください。もっと踏み込んで言うなら、あなたの人生や生き方が反映された企画を作っていってください。ただ技術的にすごいもの、ただ綺麗なもの、ただ人気なもの、ただ完成度が高いものを作るのなんて、あなたたちほどの能力があればいとも簡単にできるでしょう。そうではなく、あなたがこれまでの人生で経験したこと、とりわけ躓きや傷に正面から向き合うことこそが、かけがえのない企画を生み出し、早稲田祭を変える第一歩であると私は考えます。

 これは開発企画に限らずですが、やっているプロジェクトに自我が滲めば滲むほど、その過程は孤独なものになるでしょう。いくら論理的に必要性を説明できたとて、どれだけ一緒にやってくれる人たちに気を遣ったとて、「こんなことに周りを付き合わせてよいのか?」と思う場面が出てくるでしょう。でも、そこで感じる孤独の大きさは、そのプロジェクトのもつ引力の大きさに他なりません。他者に自分のことを何もわかってもらえていないかもしれないという絶え間のない不安の中で、どうかよいものを生み出していってください。

 班員の皆さんがこれから生み出していく舞台を、楽しみにしています。心から、楽しみにしています。

観客としての皆さんへ

  ご鑑賞ありがとうございました。WASEDA SPECTACULAR 2024では「透明な存在」をテーマに3つの作品をお届けいたしました。

 皆さまは、これらの作品をご覧になってどうお思いになりましたでしょうか。感想として緻密に言語化する必要などありません。他の方とシェアする必要もありません。企画会場を離れるときのあなたの心がどんな色であったかを、どうかあなたの奥底で大切にしていただきたいと思います。

 以下の文章は、監督である私自身が制作を終えて感じたことを記したものです。決して正解などではありません。私の感想も、作品に触れた者の心に宿ったひとつの色にすぎません。

「透明な存在」

 透明な存在とは何か。『がいど』等でお伝えしたものと異なる言い方をあえてするなら、痛みを抱えながらもそれを共有させてもらえないないままでいる存在なのではないかと考えています。

 痛みを共有させてもらえなくなるまでの経緯はそれぞれにあるはずです。後に記すように、たとえば『かめん』であれば、痛みが他者に理解されえないことが明らかになるかもしれないという恐怖心が、「共有しえなさ」を生じさせるトリガーでしょう。『しるし』であれば、津波が街を呑みこむのと時を同じくして言葉をなくしたがゆえに、生者との間の連絡手段を喪失したことが原因でしょう。

 しかし、ここで私が強く思うのは、そういった存在は決してかわいそうな存在ではないということです。いくら痛みがあっても/たとえ透明であっても、時は変わらず流れているのですから、徐々に独特の「たくましさ」のようなものが醸成されてくるものです。絶えず雨の中にいる『かめん』の主人公でさえ、友人と一緒に歩く中でその友人との「ワンチャン」について考えたりするのです。『かめん』は、悲劇でも喜劇でもありません。あらゆる物語は、あらゆる人生は、多義性に満ちています。もちろん痛みは痛みとして向き合わなければならないのですが、「ワンチャン」を意識するような人間らしさを軽んじて一面的に語ることもまたあってはならないように思うのです。

 そして制作過程を振り返って思うのは、あまりにも透明な存在の話として成形すぎることによって観客が物語を敬遠してしまうことを恐れ、かなりぼかした表現を採用してきたということです。たとえば「しるし」では、もっと露骨に東日本大震災を扱っても良いところを、海をテーマにした展示などとぼかしてきました。それは「その話」に直接興味がない方すらも「その話」に巻き込んでいかないと、いつまでも透明な存在を透明な存在のままにする構造が温存されてしまうという危惧があったからです。しかし、このバランス感覚は果たしてまっとうなものだったでしょうか。作品を対象化して語れるようになった今、そういったことを考えています。

 そもそも、日常のさまざまな場面の中で自分自身が透明であることを突きつけられている当事者にとって、自分自身の痛みに関する話は「どう日常を生きてきたか」という話でしかありません。でも、性的指向に関する話、震災に関する話などというと、大半の人はすぐ「重い話」と捉えてしまいます。「社会派」とされる作品にはすぐ「エンタメはエンタメ、学ばされるのは嫌だ」「説教くさい」という批判がつきものです。では、そうやって当事者の実存から目を背けるような観客を身構えさせないことを優先して話をずらしてみせた制作上の選択は、果たして正しかったのでしょうか。そういう場当たり的な「結集」に、どのような意味があったのでしょうか。完成したのは所詮、排除のうえに成り立った多数者の多数者による多数者のための祭でしかなかったのではないのでしょうか。

 選択の結果だけでなく、その過程で、曲がりなりにも恵まれた立場にいる学生としてそういった選択をすることの危うさにどこまで自覚的でいられたのかという点も含め、批判的な視線もまた自分の中に生じつつあります。

 クィア映画であると明言すると、クィア“でない”観客が「これは自分の物語ではないようだから、みなくていいか」となってしまったり、穿った見方をしたりするのではないかと“危惧”しているのだろう。何かのラベルを「際立たせる」ことで、そのラベルに近しい者「以外」を振り落とすのではないかという不安。けれどその前提には、そもそも既に振り落とされているクィアの存在がない。 クィアがそこにいるのであれば、クィアに対して徹頭徹尾誠実に向き合い「これはクィア映画だ」と言わねばならないのだ。これはただ単に“感情”の話ではない。 クィアは常に埋没させられ周縁化されマジョリティの物語に改修・回収され続けてきた。クィア映画と名指せというのは「(クィアを)特別扱いしろ」という意味ではない。クィア側に立ち、彼人らの実存を侵すなということだ。“LGBTQに特化した作品ではなく”という言葉はクィアを消す言葉だと自覚的にならなければならない。“LGBTQに特化した作品ではなく”と言って「しまう」とき、実存するクィアは埋没させられる。それは「悪意」とは関係なく起こってしまう。埋没化し「LGBTQ」という言葉を打ち消すということはクィアが透明化されるということ。透明化とはつまり、死のことである。 名指すことの意味――目的は表出化でしかない。「名指す」「銘打つ」ということは「透明化させない」、つまり「殺させない」という抵抗なのだ。

—映画『怪物』を巡って——「普遍的な物語」を欲するみんなたちへ/坪井里緒https://lighthouse226.substack.com/p/94f

『かめん』

 道でつまづいた人を慰められるのは、コンクリートで膝を擦りむいたときの痛みを知っているからです。痛みがめずらしいものであるとき、究極的に他者はその痛みを理解しようがありません―もちろん、それは寄り添おうとする努力を放棄して良い理由にはなりませんが。だから当然、劇的に救ってくれるヒーローも白馬の王子様も現れようがない。近くにはいるけれど何も分かっていない、分かろうともしていないような他者との関わりはただ自分を苦しめ続け、消耗するだけ。でも自分自身のこともまったく信用できない。そんな時本当に救ってくれるのは、普遍性をもった数々の作品ではないだろうか。そういった、人間という存在に対する諦念と、人間が創り出すものに対する信頼の狭間から本作が生まれたように思います。

 いま改めて作品を見つめると、その毎秒に私自身のことが色濃く刻まれているように感じます。その色の濃さが過ぎるあまり、制作過程も、当事者性があるがゆえの解像度ではっきりと描きたいという感情と当事者性があるがゆえに何も見せたくないという感情とのせめぎ合いに満ちていたように思います。そして今思うに、そこにはコミュニケーションに挑むことへの恐怖心、つまり自分の抱えている痛みが他者と共有しえないことが露呈して「もしかしたら理解されるかもしれない」という他者への期待が粉々に砕け散ることへの恐れが滲んでいたのではないかと思うのです。そういった複雑な感情を、プロジェクションマッピングという言葉によって生じる期待に素直に応答する演出と、大衆をあえて挑発する、時に悪意すらこもった演出とを織り交ぜて表したものが、この作品だったのではないかと直感しています。

 当日まであと3日というタイミングで東京高裁が、そして続けて福岡高裁も、大きな一歩となる判決を下しました。制作するにあたっては、本人が自己受容することが重要であるが、法的/社会的に当然の権利が保障されることも欠かせないという両方の視点を大事にしてきたつもりです。また、本作でははっきりと「テーマ」としてその属性を掲げましたが、こうした作品においても、いずれは数多い登場人物の中の一人として存在するようになるなど、物語の中だけでなく現実世界に「ふつうに」いるものとして扱われるようになっていけば、透明な存在であった本作の主人公も今よりずっと生きやすくなるはずであると思っています。当日降った大雨によって、舞台上で傘を差す主人公と、舞台を見上げて傘を差す観客の間にある境界線は消え去りました。特定の指向をもった人びとにピンク・トライアングルの胸章を無理やりつけさせるような過ちを本当に二度と繰り返さないでいられるかという問いは、作品世界のみならず、私たちが生きる現実の社会にも投げかけられた問いなのです。

 本作は、主人公が主人公自身と、そして「君」に対して「おめでとう」と述べて終わります。主人公の横から離れた「君」の記憶の中で、主人公の存在感はこれからどんどん薄くなっていくのでしょう。でも主人公は、そんな寒色の未来をはっきりと予感しながらも「君」の選んだ道を歓迎してみせます。独立独歩を受け入れるに至るまでには言い表せないほどの苦渋もあったのだろうけれど、それ以上に主人公は、これからも強く思いつめたまま生きていけるだけの何かを「君」が与えてくれたと思えるようになったのではないか。そのように推察しています。

 上演が終わって数時間経ち、早稲田に降る雨は止みました。でも、主人公に降る雨は今この瞬間も降り続いています。まだ社会が変わってきたとは到底いえない状況ではありますが、今もなお孤独にたたかっているすべての人に対して祝福の光が差すことを、心から願うばかりです。

「私といふ一人物にとつては仮面は肉つきの面であり、さういふ肉つきの仮面の告白にまして真実な告白はありえないといふ逆説からである。人は決して告白をなしうるものではない。ただ稀に、肉に深く喰ひ入つた仮面だけがそれを成就する」

ー『仮面の告白』作者の言葉/三島由紀夫

『しるし』

  数十万回に1回しか起きえないような最悪の事態を常に頭の中で想定し続けたら、人間はどうなるのでしょうか。きっと、その人間は絶え間のない不安に襲われるはずです。「もしかしたら」という恐れに全身が呑まれ、平凡な日々はひどく暗いものに変わってしまうでしょう。だから人間は、意識しないうちに「あり得る範囲」を措定しているように思うのです。それは、数十万回に1回あり得ることを「絶対に起き得ないこと」とみなすことで着実に生き抜くための知恵なのだと、私は考えます。

 でも、措定はあくまで措定。いわば「仮固定」でしかないのですから、揺るがされるタイミングがあります。私にとっては、そのタイミングが東日本大震災でした。およそ現実とは思えないような光景が流れるテレビの画面は私の認識の誤謬を突きつけてくるようで、ただ薄目で見ることしかできませんでした。それ以来というもの、一度剥がされかけたテープの接着が不安定になるように「あの時あり得た範囲」が時々ぐらつくような感覚を覚えるのです。原子炉がさらに水素爆発して東京に人が住めなくなっていたかもしれない。あの時津波に流されたのは自分だったかもしれない……と。

 そんな時、決まって一緒に浮かんでくるのは罪悪感です。なぜ自分が生きて、同い年のこの人が亡くなったのか。厳然たる事実に蓋をして、こんなにものうのうと生きていて良いのか。そう思うのです。これは何も震災の犠牲者に限った話ではありません。『かめん』では、早稲田祭の映像が流れる中で点滴棒をもった主人公が舞台の上を歩きます。病気・障害のためにたくさんの人が集まる場所に行くことができず、早稲田祭をはじめとする華やかな場所に来たくても来れられない人を想定したこの場面は、私自身の経験だけでなく、震災以来つきまとっている「頑張りたくても頑張りようがない状況にあるひとびとに目を背けながら頑張り続けて高みを目指し、そういったひとびとを排除する社会構造に加担してよいのか?そのような生き方は恥ではないのか?」という問いにも由来していたように思うのです。

 私がこの作品を作り始めたのは、そうした意識のもと「何かしなければ」という強迫観念のような何かに駆られてのことでした。そして、東日本大震災に関連してボランティア活動をする同年代の学生と話をすると、そういった意識に立脚して活動している方が思いのほか多いことに気づかされます。今振り返れば、この作品は死者に向けて作られた作品のように見えて、「非当事者」としてそうした思いに苛まれている生者に向けられた作品なのかもしれません。つまり「生き抜いてしまった」「残酷にも『勝ち上がって』しまった」自らを半ば責める原因となった、震災当時の「あり得る範囲」の揺らぎをきちんと傷として認め、死者の気配に包まれた海で癒すべきものとして位置づけたかった。その意味で、この作品は生者のための葬礼だったのかもしれません。

Une fraîcheur, de la mer exhalée, Me rend mon âme… O puissance salée ! Courons à l’onde en rejaillir vivant ! (海が吐く爽やかな風が、私に魂を返してくれる。潮風の力よ!波に向かって走るのだ、生き生きとほとばしるために)

―『海辺の墓地』/ポール・ヴァレリー

『あそび』

 「非常事態」にあるとき、市井の人びとの集う場は公権力による規制の対象となり得ます。パンデミックを理由として一斉休校よりも早く発出された大型イベントの「自粛」要請以来、早稲田祭も3回にわたって規模縮小を余儀なくされてきました。一方で、こうした状況に対して異議を唱え、文化芸術は「非常事態」で失われた人間としての尊厳を回復するために必要なのだ、という論も展開されてきました。

 このような論は、きわめて妥当なように思われます。絶えず侵略者の放つミサイルが飛来するウクライナの地でも、演奏会や演劇公演がなくなることはありません。作中の主人公もその姿勢でもって、災厄が相次いで起きる中でも筆をとり続けているようです。下に引用するのは、パリ同時多発テロの後にマドンナが行ったスピーチの一節です。苦しみが渦巻く世情の中でイベントを決行することに葛藤しながらもショーを続けることに意味を見出すこのスピーチは、世界中の文化芸術の担い手が4年前に経験した感情をいち早くたどったものといえるでしょう。

 でも、ここで一度立ち止まってみたいと思います。それほどまでに文化芸術に大きな力があるのだとしたら、それが必ずしも善の方向に作用しないこともまたあるのではないでしょうか。現に、人びとを非日常の世界に閉じ込めて日常世界から隔離してしまったり、現実を非現実のようにひどく単純化して解釈する人びとを生んでしまったりしているのではないでしょうか。そのように、文化芸術には、現実・日常を捻じ曲げ、黒く染めてしまう「魔力」があるように思えてならないのです。

 では、その「魔力」はどこに由来しているか。制作を終えたいま私は、文化芸術が「卓越性」の名のもとに極端な権力勾配を認めてきたことと密接に関連しているように感じています。「立派な作者」になるためには、さまざまなハードルがあります。言葉や手足などの表現する道具を自分の意志で十分に操れること。生活するために必死に働かなくても良い余剰の時間があること。制作の元手となる文化的経験があること。「才能」があること。作品づくりには、自分の努力だけではカバーしようがない範囲まで求められることは否めないでしょう。そして、そのハードルさえ越えてしまえば、「卓越していない」とみなされる人間のことを「作品のため」と称して容赦なく消費できてしまうこともまた否めないでしょう。圧倒的な作品を生み出せさえすれば、およそ一般の人間関係では容認しがたい行為が黙認されることもあるでしょう。

 でも、抜きんでればそれでずっと何もかも許され、幸福というわけでもないでしょう。ピラミッドの頂点に立った人間は、圧倒的な社会的承認と引き換えに、そこに立ち続けなければならないという足枷や、周囲からの僻みを得ます。誰かと一緒にいる時のほうがむしろ孤独であることを突きつけられることだってあるかもしれません。それを苦しみと感じるならば卓越性を捨てれば良いという話になるでしょうが、それが天賦による卓越だった場合、自分自身を完全に壊しきらなければ「ふつう」になることなんてできないわけで、意図せずとも他者を踏みにじり続けて、最後の最後まで理解し合うことは難しいでしょう。

 文化芸術という卓越性を基軸としたシステムを容認した瞬間に、ピラミッドが、序列が生じてしまう。アドルノの言葉を恣意的に解釈すれば、これこそが「詩を書くのは野蛮」ということなのかもしれない。文化芸術とは、ファシズムの一つの形態にすぎないのかもしれない。それなのに、人間はどんな状況下でも文化芸術を欲してしまうとしたら……。露悪的な書き方かもしれませんが、そういった残酷な側面を無視して制作に向き合うことはできませんでした。

 本作では、戦時下から現代までの学生文化を象徴する映像が挟み込まれています。主人公は最後に紙を剥がし、学生文化を描く役割を次の世代へと受け継ぎます。そこには、長い時間を共にしてきたがゆえに自分のアイデンティティの一部となってしまった、薬でも毒でもある文化芸術と一定の距離を置くことに対する寂しさのようなものが表れていたようにも感じます。では、自分のアイデンティティを庇うために、他者を巻き込む残酷なシステムを黙認するそういった主人公の態度は、果たして誠実といえるのでしょうか。誠実でないとしても、それを誰が糾弾できるのでしょうか。

This whole show is about celebrating life and standing up for your rights, fighting for what you believe in, it’s been really hard for me to go through this show up to this point and not forget about what happened last night, so I need to take this moment to acknowledge the tragedy, the tragic killings, assassinations and the senseless endings of precious lives that occurred last night in Paris.
It’s disturbed me all day. It’s been really hard actually to get through the show because in many ways I feel torn like why am I up here dancing and having fun when people are crying over the loss of their loved ones?. However that is exactly what theses people want to do, they want to shut us up, they want to silence us and we won’t let them, we will never let them because there is power in unity I do believe there is much chaos and pain and senseless violence and terrorism that occurs around this world not just in Paris as much as that it does occur there is much goodness in this world.
We are here to prove it.
I was gonna cancel my show tonight and I thought to myself why should I give that to them? Why should I allow them to stop me? And to stop us from enjoying freedom. All the places where people were killed were places for people having fun, people were enjoying themselves, eating at restaurants, dancing, singing, watching a soccer match. These are freedoms we take for granted of course and we must not but these are freedoms we deserve. We work hard, we deserve to have fun. And there is no one in this world who should have the right to stop us from doing what we love.

―Madonna’s Speech on Paris Attacks(Stockholm show / Nov-14-2015)https://youtu.be/AoGTJJB8f24