日記(2025-11-15)
職業差別?
風俗ぐらい誰でも行くだろw と思ってる男居るだろうけど、そんなことは無い
お前の周りでは当たり前かもしれないが、それはお前が属しているグループが下衆なだけで行かない男性はかなりいるし普通に軽蔑される
なぜかそんな話してないのに突然リプで売女の話ぶっ込まれてるけど、売女も恥ずかしいと言うか人生の汚点に決まっている
整形して売った金でキラキラ垢やって持て囃されたり表舞台に出て来るのは異常だと思う
左派の人たちがこうやってセックスワークの偏見強くて保守的でスティグマ助長させてるのって共産党員とかの理路にも通じるやつだと思うけど本当どうにかならんのかね。まず正しい性はこうあるべきという規範が強すぎる。あと「汚点」となるような行為をしてる人たちがいるとしてそれが全体ではないし。
https://x.com/Y146409995220/status/1989404961286004753?s=20 より
紅白のクリエイション
実は正直、紅白はこれまでのものも素晴らしいテーマやデザインが多くあり最初悩みました。最初ロゴももっと奇抜で目立つような、またいかにも「デザインしました」というようなテクニカルな案も考えました。ただ、紅白という伝統ある国民的番組の放送100周年という節目の年にそれは似合わないとボツにしました。もっとど真ん中で王道感のあるオーセンティックなもの。明快なコンセプトと、なるべくデザインのエゴを抑えデザインし過ぎず、シンプルでコンセプチュアルなものにしようとおもいました。それは紅白の伝統へのリスペクトと共に、ここからの100年の未来をどう表現するかを考えていきました。
ヒントは経済学者のシュンペーターのイノベーションの本質、組み合わせたことのない異なるもの同士を組み合わせる「新結合」の考え方です。紅と白に象徴される異なるもの、つまり時代、世代、性別、言葉、人種…それぞれは尊重し独立していながらも、異なるもの同士がつながり、協働することで新しい未来をつくって行こうという視点です。また、日本は古えから自分達の文化と外からの文化という異なるものをつなぎ新しいものを生み出してきた歴史があります。過去をリスペクトし、未来を生み出す放送100周年の節目の年の紅白に相応しいデザインにしたいと考えました。

- コピーのフォントはおそらく見出ゴ?細明朝の上に見出ゴを持ってくるの独特だなと思った。
- これ、非常に早稲田祭2025との近接性を感じた。高度にアンテナを張っているデザイナーの発想って似るものなのだろうと思う。

戦中の選挙
戦中に行われたこの衆院選いつ見てもひどい
不正までしたのに非推薦まみれだし、鹿児島じゃ選挙妨害が訴えられて無効判決出てやり直し食らってるのも含めて面白い()
https://x.com/x28O1nKo42FAr57/status/1982089883234746407?s=20 より
- 司法がちゃんと機能してたのすごい。
価値基準
だから、君がもし表現者になりたいのだとしたら、精神的な背骨を手に入れる必要がある。それはどんなものでも良い。私が君をどう思うかではなく、君が君をどう思うかそれが重要だ。君は私じゃないし、私は君じゃない。究極的には、私が君をどう思おうが君はそれに左右される筋合いはない。
背骨を手に入れる手助けをしきれなかったことに悔いが残るが、この研究室で卒論をやった経験が数年後に役にたつことを祈っている。君が新たな場所で新たな師匠に立派に鍛えてもらえますように。さようなら、お元気で。
- 私立文系学部生的な思考態度を良く言い表していると思う。
アイドル文化
推し活って過剰な感情エネルギーの行き先として機能してると思うし、あんな感情量、目の前の双方向関係の人間にぶつけるのは人間関係が不健全すぎる。一人遊びとしての推し活が感情の逃げ道として必要な人は多いよ
- こういうのって難しい。もともとあるデカい感情を押し出すことのできる場所になるという意味では良いことなのかもしれないが、「押し出していい」という安心感が生じるからそれを前提として一層感情が大きくなって日常に支障をきたすのではという見方もできそう。
今回の騒ぎで東映が、これからは首都圏育ちの育ちがいい俳優しか起用しませんみたいになってしまったらすごく嫌だな。でもそういう流れなのかもしれないなぁ。
アイドルは割とそういう流れがきてるという印象で嫌だ~
- これはめちゃくちゃ分かる。平野紫耀とか佐藤龍我みたいな人間を拾ってくるのって今の時代かなり厳しいのでは……。
ガチこれ。ジャニーズは4大ドームまでは当たり前で国立、5大ドームまでいってようやく売れてる認定される異常界隈⬅️ドムツとアリツアどっちがすきー?なんて会話当然のようにしてるのジャニオタくらい
自分もジャニオタだけど正直ジャニオタの鼻息荒いジャニオタage見てると恥ずかしくなる
- 権威を笠に着る思考態度を感じる。ジャニーズ事務所と自己が同一化してしまうみたいなのは非常に分かる部分があるだけに心苦しい。
空人しれっとインスタ投稿消すな定期 このネイルの投稿も戻しなさい(ドサクサ)
- 投稿消し、シンプルにメンタルの不安定さを感じてしまうのでちょっと怖い。
共食い資本論
私たちは今、カニバル(共食い)資本主義の中を生きている――。世界的に著名なフェミニズムの理論家として知られるナンシー・フレイザーさんは、ジェンダー不平等を含めた様々な社会の危機を資本主義論として捉え直す視点で現代社会を分析している。ジェンダー平等はどう資本主義の問題と関わるのか。史上初の女性首相が生まれた日本を訪れたフレイザーさんに聞いた。
ナンシー・フレイザーさん 1947年生まれ。米ニュースクール大名誉教授。専門はジェンダー論、批判理論。邦訳に「資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか」(ちくま新書)、共著に「99%のためのフェミニズム宣言」(人文書院)など。
――日本では、史上初の女性首相が誕生しました。画期的なことですか。
フェミニストとして私が言えるのは、女性が首相になったという事実だけをもって、フェミニズムが前進したとは言えないということです。英国のサッチャー元首相のケースを思い出して下さい。彼女は女性でしたが、労働者や福祉に厳しい政策を進め、多くの女性や弱い立場の人びとの生活を損なった。
象徴だけでは、人々の暮らしはよくならないのです。政治学者アン・フィリップスは、「誰がそこに『いる』か」を重視する「プレゼンスの政治」と、「どんな政策や価値を代表しているか」を重視する「アイデアの政治」を区別しました。
ジェンダーよりも経済、なのか
私は明確に、後者、つまりアイデアの政治を優先します。
日本の新しい首相は、非常に保守的な立場だと聞いています。私は、富の再分配、公共サービス、ケアの充実を重視します。もしそれを本気で進める男性政治家と、新自由主義的な女性政治家のどちらかを選べと言われれば、私は前者を選びます。
もちろん、政治の場に女性が少ないこと自体は深刻な問題です。しかし、例えばこう考えてみてください。ごく少数のエリート、いわば「上位1%」の世界だけで男女比を整えたとしましょう。そして残る99%の女性たちの賃金、働き方、ケア負担が変わらなければ、平等ではありません。いま必要なのは、「1%のためのフェミニズム」ではなく、「99%のためのフェミニズム」なのです。
――ジェンダーよりも経済的な問題の方が重要だ、ということですか。
まず断っておかないといけないのは、資本主義とは経済の仕組みを指すわけではありません。私たちの社会には、市場で値段がつかないものがたくさんあります。子育てや介護、地域での支え合い、公共サービス、法や民主主義、そして自然環境。こうしたものが土台となって、はじめて企業活動や利益が成り立ちます。
ところが現在の資本主義は、その土台をただで、あるいはきわめて安く使い潰してもよいものとして扱い、食い物にしている。だから私は、いまの体制を「カニバル」資本主義と呼んでいます。
様々な危機から見いだせる同じ論理とは
具体的な例を言いましょう。ケア労働は、低賃金か無償に押し込められ、人手不足で限界まで疲弊しています。企業は短期的な利益を優先し、環境コストを外部化することで気候危機を加速させていく。福祉や教育も私たちの社会に欠かせない土台ですが、これもまた公的支出が削られています。一方で金融市場や大企業は手厚い保護で守られています。
こうした様々な危機は、実は同じ論理から生じています。自分が生きるための土台を、内側からむさぼる。だからカニバル資本主義で、危機はつながっているのです。ジェンダーよりも経済という話ではありません。
――ジェンダー平等は十分ではないにせよ、近年前進させていくべきだという考え方が定着してきたように見えます。それでもカニバル資本主義は加速しているのでしょうか。
1990年代以降の欧米では、「多様性」「女性の登用」「LGBTQの権利」など、本来は重要な価値の言葉が、大企業やリベラル政党のブランド戦略と結びついてきました。私はこれを「進歩的ネオリベラリズム」と呼んでいます。
口では「インクルージョン(包摂)」を語りながら、実際には金融の自由化や労働規制の緩和を進め、労働組合を弱体化させ、格差を拡大させる。
その担い手となったのが、米国のクリントン元大統領、英国のブレア元首相、ドイツのシュレーダー元首相ら、かつて「中道」と呼ばれた指導者たちです。
彼らは、多様性のレトリックを掲げつつ、下層・中間層の生活基盤を切り崩しました。その結果、エリートに裏切られたと感じる人びとの怒りが行き場を失い、極右ポピュリズムや「トランプ主義」を押し上げたのです。
米国では、大口献金と企業ロビーが政治を深く支配し、民主党も共和党も「金に握られている」と多くの市民が感じています。本気で再分配やケア、公教育を立て直そうとする勢力は、しばしば党内で周縁化されてきました。体制全体の正統性は揺らぎ、安定した「常識」が失われた状態になっているのが現在です。
イスラエル批判、ドイツの大学が招待を撤回 東京大学へ ――あなたは、イスラエルのパレスチナ自治区ガザへの攻撃に抗議する書簡に署名したところ、ドイツの大学からの招聘(しょうへい)を撤回されたと聞きました。
(戦闘が始まった直後の)2023年11月に公開された、イスラエルを批判し攻撃をやめるよう求めた書簡にサインしたところ、すでに講義することが決まっていた(ドイツの)ケルン大学から招聘しないとの連絡があったのです。イスラエルへの批判が、ユダヤ人という属性への批判になるというのはおかしな話です。実際に世界各地に離散しているユダヤ人コミュニティーは多様であり、イスラエルとイコールではありません。実際に世界各地で「この虐殺を私たちの名で行うな」と声を上げるユダヤ人たちがいます。
しかし現在、欧米の大学や文化機関では、イスラエル批判の声に対して、ポストや招待の取り消し、学生への処分など、過剰な制裁が加えられる事例が相次いでいます。これは学問の自由や表現の自由の観点から深刻な問題です。ケルン大学からの招聘の撤回を知った東京大学の斎藤幸平准教授と國分功一郎教授から招待を受け、今ここで授業をしています。
いま世界は、カニバル資本主義がもたらす総合危機のただ中にあります。ケアの危機、気候危機、格差拡大、民主主義の形骸化――これらは別々のニュースではなく、一つのシステムの矛盾がさまざまな場所で噴き出しているのです。
1947年生まれ。米ニュースクール大名誉教授。専門はジェンダー論、批判理論。邦訳に「資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか」(ちくま新書)、共著に「99%のためのフェミニズム宣言」(人文書院)など。
- いい記事だった。ナンシー・フレイザーの本を読みたい。
- (11.20追記)と思ったらナンシー・フレイザーが吉田寮に行っていて笑ってしまった。別に変なことではないのだが、面白い。
東博のあれこれ
- 自分はやむを得ない派。本当に上手くいくのかという疑問符はあれど、財源を作っていくのは必要でしょう。
- 前提として文化予算が足りていないのではないかという気持ちもあるのだが、じゃあ優先順位を高めるだけの合理的な理由があるかといわれると微妙で、より企業や個人からの寄付をやりやすくすることが必要なのではと思っている。クラファン的なことを博物館・美術館がやると国の文化政策が批判される流れになりがちなのだが、それはちょっと違うのではとも思う。
- 人文系・芸術系の嫌儲的なところって、もちろんとことん市場価値に転換していくようなやり方と対峙できる点で意義はあるのだが、あまりにも潔癖すぎて首を絞めていないか?と思う部分もある。
- あるべき原理原則に固執して、現実的な妥協点を見つけられないのはまずいのではと思う。下の「博物館のエンタメ性は、展示品を活かした展示方法や鑑賞体験やグッズ販売などのことであって」とかはその最たる例だと思う。そりゃそうなのだが、それを言い続けても展示やグッズで稼げないからなりふり構わずやるしかないのでは、と思う。根本的な、文化政策、もっと言えば資本主義を問うという考え方はあれど、その考えを深めることと現実的なプランの検討を両方やるというのは十分できることなのでは。
- あと、権威性を問題にする議論はよく分からなかった。国立博物館の品格を守るべきっていう意見て、単に公共性という価値を重視しているだけで、権威主義的とまでは言えないような気がする。
東京国立博物館は10日、本館前庭の池を撤去し芝生エリアに改修する計画「TOHAKU OPEN PARK PROJECT」を発表した。文化財に親しむだけでなく、公園のように気軽に立ち寄れる開かれた空間を目指す。2027年3月の完成を予定しており、改修費用は寄付で賄う。
反対意見
博物館のエンタメ性は、展示品を活かした展示方法や鑑賞体験やグッズ販売などのことであって、博物館の展示品とは関係のない音楽フェスやビアガーデンを博物館内で行うことが展示品の何たるを知らしめることに寄与できるとは思えない
これ私もチケット取れなかった組なんで体験談読んだくらいの知識しかないんだけど、博物館のような場所が提供するイベントじゃないと思った。商業主義すぎる。 公共の知性が消費欲求ばっかり煽ってどうするの。
噴水や池は維持費がかかるけど芝生のオープンスペースはイベントで使用料を稼げるから正しいんでしょう。そういう、土地が1平米でもあれば直接収益に結びつけなければならない、みたいなドグマでどんどん都市がおしまいになる
https://x.com/vc10derness/status/1988753826560848236?s=20 より
やむを得ないとする意見
トーハクのリニューアルで色々言われているけど、ちょっと複雑な気分…というのもあの前庭を活用したいというのは察してて。実は昨年トーハクの前庭でこういうイベントが行われたんですけど反響が凄かったんですよ、チケット瞬殺。今年もかなり増席したのに既にほぼ完売。 https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/dinosaur-grand-night-parade-tokyo-national-museum-news-202510
トーハク、私は博物館は国のお金はもちろんだけど、自主財源を賄えるような仕組みを整えておくことも大切よなあ…という考え方で、そのために前庭を潰すという判断なら仕方ないのではと思うのです。
でもこの考え方になったのは、偶然ですが昨年は科博、今年はトーハクに取材したのが大きい。
収蔵作品は「増える」んですよ。そのための経費も。トーハク、どれだけ人が多くても入場料なんて運営費の中では微々たるものですよね(確か1割にも満たない)。ほんの少しでも「自分たちでお金を稼ぐ術」を持つことはリスクヘッジにもなる。もちろんこの状況が良いとも思わないですが。
こういうの見ていると必ず「トーハクの品格ガー!!」って人が出てくるけど、ぶっちゃけ権威主義的で好かんのですよな。
https://x.com/nonomaru116/status/1988825088221933980?s=20 より
この件、圧倒的観光名所で人が押し寄せたり、個人や企業のドネーションを山ほど集めている欧米のミュージアムとはどだい違うので比較しても意味がなくて、参考にすべきは、国がキッチリ文化政策に金を出している韓国だと思うんだよね
東京国立博物館の池を無くすの、この手のイベントもそうだけど、むしろハイブラのイベントとかに使いやすくするためでは、という説を見て、なるほど、と思った。東京国立博物館も京都国立博物館も、ハイブラに貸しまくってますからね…。それでお金を稼いで存続してくれるなら、文句も言えないか…
文化予算と教育予算はちゃんとつけて欲しいが軍事費は必要だし街路樹は寿命で伐採している面が強いし、こういう、雑な議論は嫌い
クィアな作品
繊細な心理描写とは
マジでBLドラマ界隈で言われる「日本の作品特有の繊細な心理描写」っつーのが皆目わからないけど、今観てる奥山監督とか、そのルーツにありそうな邦画の諸々見てると、こういう映像表現が邦画らしさなのではないか、しかし今の本邦BLドラマでそれができているものはほとんどないのでは、と思った
私がこの雰囲気を感じたのはいまんとこ、 スメルズライクグリーンスピリッド 君のことだけ見ていたい(倉悠貴の功績大) his〜恋するつもりなんてなかった〜(倉悠貴だし、今泉力哉なので、それはそう) あと若干未成年
もし日本のBLドラマだったら、ここに至る前に、Nongが自分はVeeのことが好きなのかどうなのかを逡巡する過程が入ってくると思うんだけど、それはなくて、信頼できるかどうかの疑念は描くけど、相手への惹かれへの戸惑いや迷いというのを個人の心情プロセスとしては明示しないのが違いとしてあるよな。
https://x.com/cream080808/status/1977248611273785481?s=20 より
Dating Game見ている時も思ったんだけど、やっぱり、日本のドラマの繊細な心理描写って、個人の中の逡巡や葛藤の描写のことを指すことが多いんじゃなかろうか。と感じる。
https://x.com/cream080808/status/1977248854950265181?s=20 より
K-popに先にY2K邦画をやられてどうなんですか?タイドラマに先に原宿系をやられてどうなんですか?って言いたい
BLの案
津軽海峡・冬景色BLをやりなさいと言ったことはあるな
君の名前で僕を呼んで
𝓒𝓘𝓝𝓔𝓜𝓐『𝓜𝓞𝓓𝓔𝓡𝓝 𝓛𝓞𝓥𝓔』/「𝓗𝓔𝓐𝓡𝓣」
𝓑𝓮𝓱𝓲𝓷𝓭 𝓽𝓱𝓮 𝓼𝓬𝓮𝓷𝓮𝓼 𝓹𝓱𝓸𝓽𝓸📸
#STARRING #KingandPrince #永瀬廉 #髙橋海人
https://x.com/kp_official0523/status/1983730611824316514?s=20 より
既視感はなんなのかなぁって思ってたけど 君の名前で僕を呼んで、のポスターの質感だな
https://x.com/tokuchan_tea/status/1983766754406101087?s=20 より
地味ハロウィン
接客業が恐れるおばさん #地味ハロウィン #地味ハロウィン2025
https://x.com/karadai_hiro/status/1983888192538603616?s=20 より
こういう誰かを悪者にして揶揄するタイプの地味ハロウィン、元々地味ハロウィンを楽しんでた人達から見るとすごく悲しいな。 あと、闘病中の方も同じ服装になるから、一概に服装で危険人物扱いするの良くないよ…
この画像は、サービス業従事者が最も恐れる中年女性のステレオタイプを描いたものだ。地味な服装の裏に、細かいクレーム、値切り、理不尽な要求を連発する「厄介客」のイメージが隠れている。韓国でも同様の「アジュンマ」文化としてバズり、万国共通の接客の悪夢をユーモラスに表現した地味ハロウィンコスプレだ。労働者の共感を呼ぶブラックジョークだね。
地味ハロウィンの決定的な弱点は、自虐が存在しないこと。「自分の仮装」ってできないでしょ。ただの普段着だから。必然、全ての地味ハロウィンは他人への揶揄の視線が伴う。自分より強い者への揶揄は風刺として成り立つが、元ツイも接客業(弱者)の自分からの客(強者)への風刺のつもりだろうし
>RY 同じ理由でこれも最悪だよね。地味ハロも広まりすぎると荒れる
https://x.com/tenereisobe/status/1985943193364676865?s=20 より
短歌
事例
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▶︎note版:無料公開→【https://note.com/sz_uta/n/n6dcb64f7b6ae】 ▶︎ネプリ版:ツリーでご案内(印刷代400円)
“好き”をうたうファンたちの短歌の世界をお楽しみください。感想はぜひ→ #ファンと短歌アンソロ まで! #短歌
- PDFが無料で配布されていたので保存した。とてもよい。
題材
- 「暖かくしてね」っていいことばよね。
「暖かくしてね」ってめちゃくちゃ愛だよな
アイドル様が我々オタクにこれでえぐい
- 10分遅く伝えないという誠実さを評価していきたい。
テレビでこれ見てて遅刻セミナー猪狩蒼弥思い出して爆笑してたwww
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批評
高校のとき、賢しらなレトリックを凝らした批評などすべて詭弁だと書いた。それから長い時が経ち、人が何か作品について言うのは自由で、それはそれぞれに面白いと認められるようになった。ところが世の中は、入れ替わるように、批評の拒否が全面化する時代になった。
https://x.com/masayachiba/status/1769565072429666391?s=20 より
レトリック使いたちは、論理を扱っているように見せかけて実はイメージを操っているんですよね。言葉によって喚起されるイメージを。
- 批評をレトリカルに書くのが結構嫌。あくまで一般大衆に理解可能な書き方で記述しなければいけないと思っている。
「言語化」という言葉が最近よく使われるようになったのは、いわば「批評」の敗北を示している。深い知識や新たな視座が提示されるということが信頼されず、誰もがあらかじめ感じていたことが「言葉にされた」ということだから。 文というものが、思想の表現ではなく感覚の形式化になった。
「言語化」という言葉には、「言語にする以前からその感覚対象が存在した」というニュアンスがあるが、言語には「語られて初めてその対象が見える」という機能もある。言い換えれば、言語の持つ「ツール的性質」が重視され、「世界の開示」という性質が忘れられている。
- これ国語教育における道具的言語観(下の話)ともかかわっていそう。
今年の全国学力・学習状況調査の国語の問題、SNSで褒める方も批判する方もいて、興味深い思いで今朝読んだのだけど….小学校も中学校も、どちらも非常に貧相な道具的言語観の産物だと僕は感じた。作問者の言語観が厳しく問われねばならないと思う。
目の前の相手とやりとりする実用的道具に振り切るなら、古文も漢文も外国文学も詩もいらんのよ。「言語は相手に自分の考えを伝える道具(にすぎない)からそれでいい」という貧相な言語観や言語教育観に対して、間違っているとちゃんと指摘する必要があるんじゃないのかな。
- もともとある対象を忠実になぞることが良い、みたいな価値観は「解像度を上げる」という言葉にも感じられるようにも思う。いわゆる「原作厨」もその系譜にあるのかもしれない。
平成アイドルソングと令和アイドルソングのメッセージ性の違いを探るために、アップルミュージックの「平成!アイドルソング ベスト!」という再生リストに入っている曲の歌詞を上から一つひとつ見てメッセージ性を書き出しているが、思った以上に大変な作業になりそうだ。
https://x.com/stargazingmario/status/1983217778803773822?s=20 より
令和ってやっぱり特有のノリがあるよな。
https://x.com/stargazingmario/status/1983450903027102147?s=20 より
- 面白い分析だ。
「身体性」はアーティストにかぎらず誰も正確な意味をとれていない、まさに〈プラスチック・ワード〉の最たるものという感じがする
- ずっと意味がよく分からずに自分も使っていたのだが、やっぱりそうなのか。
クィアとして生きるということ
少数派って「普段の生活の中で知り合う」というのがまずレアなんですよね。いわゆるマジョリティ男女の恋愛を描いて、人間だけを同性に置き換えるとそういう乖離のある描写になるのかな、と思ってました。根本から条件が違うのに
わかる これがあるからこそ同時に「はっきりとセクシャリティは自覚しているけれど普段の生活で恋愛関係になりうる人に会わなさ過ぎて、積極的に相手を探して恋愛をするでもなく、趣味とかで楽しく生きている」という層もそれなりにいるように思う
- 非常に分かる。
「見られないといない事にされているのと同じになる」 これ、LGBTの人達の暗喩だよね。学校でも社会でも「いない者」として扱われる、だから「『異性』の恋人いないの?」「男(女)らしくしなさい」「早く結婚しなさい」とか平気で言っちゃう。当事者がいる前で「男同士の動画なんか見せるな気持ち悪い」って言えちゃう。LGBTだけじゃない、見えない障害のある人や家族に障害者がいる人の前で「お前出来悪いな障害者かよ」って発言しちゃうとか、アジア系外国ルーツの人の前で「在日なんて日本から出ていけばいいよね」って言っちゃうとか、「見た目」が「普通」に見えるマイノリティは自分から言わない限り、「そこにいない」事にされる。で、言い出せない当事者が目の前にいるのに「そんな人(LGBTとか見えない障害とか外国ルーツとか)自分の周りにはいないよ」なんて言われちゃうんだよな。
- 「光が死んだ夏」第41話-2 に関するコメント。自分もそう読んだ。
【進出】お久しぶりです。ニューヨークに行ってました。 https://www.youtube.com/watch?si=CBlKnnhVWux0tX8r&v=wyfnzIY4l7E&feature=youtu.be @YouTubeより 都ですら早苗ちゃんよく知らないけど推し❣️とか言ってて本当に若い子って何も知らないんだね。アンタとか1番賛成してたら意味不明な存在じゃん。案の定同性婚早苗ちゃん反対しててえぇ〜⁉️とか言ってるし
https://x.com/_Under_the_desk/status/1986624556690444736?s=20 より
- 都のような人間が強い発信力を持つことに意義がないわけではないとは思うのだけれど、ところどころ、名門中高一貫男子校という出自でその程度の社会認識ですか?みたいな部分があるのが怖い。当事者性のある政策に関連する裁判の状況を追ってないのか……。結局こう、大衆認識と過度に乖離しておらず、現状の不均衡でもそこそこうまく生きていける「適度なマイノリティ」人間が代表格のようになっていってしまうことは危ういのではという気がしてしまう。
特性/異常性と生きる
成人済のASDの人に「心から思ってなかったとしてもありがとうごめんなさいを言った方が他人から怒られづらくなって得ですよ」という話をしたら「そんな不誠実なことをして良いんですか」とショックを受けてた ずっと前
アスペにとっての最大のガンとなる思考 誠実=自分に正直であることと思ってる ですね。。。 実際は相手よりも自分が大事なだけの自己中心思考なんですが、なぜかこれを誠実だと思い込んでるアスペは本当に多いです
https://x.com/okasimachi0805/status/1983038919135658144?s=20 より
自分は「嘘をつくのが苦痛」というか「まごころから出ていない言葉を言いたくない」んだと思う、それが理由で人狼とかマダミスがめちゃくちゃ苦手だ
- この感覚理解できる。テーブルゲームの類が苦手なのってそこらへんもあるかもしれない。
これ大層わかる。ワイもアスペ傾向あるっぽい(診断してもらえなかった)からか、「数式を解くように話す」「プログラムを書くように指示する」って言われるんだけど、他部署で居場所のなかったアスペがワイの部下になるといきいき働くようになって、一時ワイの部署がアスペボックスになってたことある
岡田斗司夫がYouTubeで、発達障害だらけの部署があり 特性を理解し合ってるので、「おい、ADHD片付けろ!」とか「あの人集中してるから今話しかけても意味ない」とか「多動でてるよ!」とか適切な指示を各々出し合い 優秀な成績を残してるみたいな話してたなあ。(うろ覚え)
- なるほどなぁ。
赤ちゃんの〝眠くて泣く〟という謎の行動に対して「いや眠いなら泣いてないで寝ろし笑」と思いつつ調べてみたら赤ちゃんは素人すぎて〝眠気〟が何か分からないから襲ってくる謎の衝動(眠気)に対して目をつぶって安静にするという対処方法を知らないから泣いちゃうと知ってかなりなるほどと思った。
これマジで他人事じゃなくて笑った 自分もいい歳して仕事に飽きたことを空腹と勘違いして冷蔵庫漁っちゃうし、喉乾いているのに気づかずにずっと疲れた、って思ったまま作業してるし、空腹に気づかずイライラしてることある まだまだ人間の素人すぎる
- 自覚できなさ、あるよなぁと思う。
映画で、初デートなのに男性がめちゃくちゃ重い家庭の事情とか自分の悩みを立て続けにしゃべってフラれる場面を見てて、emotional dumping / trauma dumpingっていう英語を知った。信頼関係がない相手にいきなり自分のトラウマや悩みの話をすることだそうな。
https://x.com/Cristoforou/status/1986685584786792698?s=20 より
双方信頼関係がある場合はventingと言うらしい。
https://x.com/Cristoforou/status/1986685584786792698?s=20 より
- 名前付いているんだなぁと思った。
LLMへの投げ方
ChatGPTに単に「スライドを作って」というとCode Interpreterが動いてPythonでゴミみたいなpptファイルを作ってしまうので、16:9のページで区切られたオシャレHTMLを作れ、としないといけないんすよね。 ここのHTMLの設計の指示センス(使うフォントやフレームワークやカラースキームなどなど)がスライドの品質を決める。 なおこの方法だとGPT-5はフロントデザインの能力が高いので美麗なものが作れる。
タイトルとメッセージライン(何が言いたいのかを一文で)は必ず付けろ、とか、デザインはtailwind cssを使え、とか色々入れたら良い感じになっていきます! 『page-break-after: always;を入れて印刷時PDF出力時にスライド毎に改ページされるようにしろ』とか!
- めちゃくちゃ参考になる。
明らかに人間が強調しないであろうところに付けられたカギ括弧、過剰なダブルダッシュ、これみよがしの「◯◯ではない」、そしてクッッッッッッサい上に無意味な結語。全部LLMの仕業です
気になっている/面白かった作品
『人間標本』
人間も一番美しい時に標本にできればいいのにな――。ひどく損壊された6人の少年の遺体が発見されると、社会はその事件の異様さに衝撃を受けた。大学の生物学科で蝶の研究をする榊史朗は、蝶の世界を渇望するあまり、息子を含む6人の少年たちを手にかけたと独白する。蝶に魅せられ、禁断の「標本」を作り上げたという男の手記には、理解しがたい欲求が記されていた……。耽美と狂おしさが激しく入り乱れる、慟哭のミステリ。
- 湊かなえ作品ってこういうのもあるんだなぁと思った。今度実写ドラマ化されるらしい。面白そう。
『再見の夜明けまで』
「再見の夜明けまで」は、他人との関わりを避けてきた青年・藤沢と、中国人の親友・廷于(テイウ)の交流を描く物語。8年前、大学生だった藤沢は、クラスメイトと関わらないように学生生活を送る中で、中国から留学してきた廷于と出会う。日本人と仲良く交流しているように見える廷于だったが、ひょんなことからそんな彼の悩みを聞くことになった藤沢は、次第に仲を深めていく。大学を卒業し、中国に戻ってからもたびたび日本を訪れる廷于と、藤沢はある感情を隠しながら“友達”として付き合いを続けていくが……。
- 1話を試し読みした。おもしろい。
「マイノリティの『つながらない権利』」
何らかのマイノリティ属性をもつ人は、生存に必要な情報を得るために当事者コミュニティへのアクセスがほぼ必須であり、コミュニケーション能力によってさまざまな差が生じている。マイノリティがつながることを半ば強いられている状況のなか、マイノリティは”つながらなければならない”のかを、根本から問い直す。
- いい視点だと思った。連帯するのは良いのだが、連帯しないといけない社会ってそもそもそうなんですかねという感じはある。
「LGBTQ+の歴史」
LGBTQ+の芸術、思想、哲学、サブカルチャーの文化史。弾圧、差別、苦闘、連帯の政治史。そして古今東西の多様な性のありかたの精神史をひもとき、世界の見方を拡張する充実の図鑑。
紀元前から現代まで、アジアから中東、欧米、アフリカまで。 LGBTQ+に関わる重要なトピックを、全105項目のもと歴史に沿って網羅、解説。 芸術、思想、哲学、サブカルチャーの文化史。弾圧、差別、苦闘、連帯の政治史。そして古今東西の多様な性のありかたの精神史をひもとき、世界の見方を拡張するかつてない図鑑!
- これは良い勉強になりそう。
「近代小説の表現機構」
小説はいかにしてみずから「小説」であることを騙りうるのか。小説は「小説」と銘打たれているから小説なのではない。小説もまたみずから「小説」であろうと精一杯に努め、これをよそおうがゆえに、はじめて「小説」として認知される。小説が小説たろうとするための"よそおい"や"みぶり"を「表現機構」と名付け、分析概念の核に据えて考察することで、近代小説の全体像に新たな見取り図を示す。第Ⅰ部で、視点、人称、言文一致体、写実主義・個人主義などの理念、自然という概念、私小説、文壇など、複眼的な観点から論じ、第Ⅱ部では個々の作品からその有用性を確認する。文学研究のあり方を実践的に問う名著。 解説 佐藤秀明
- おもろそう。
「党生活者」
ビラは今迄に沢山出されてきた公式的な抽象的な戦争反対のビラの持っている欠点を埋めようとして、今度は逆に問題を経済的な要求の限度にとゞめてしまう誤りを犯していると云った。得てそういう右翼的偏向は、大衆追随をしているので一応評判が良いものだ。従って「評判が良い」という事も、矢張り慎重に考察してみる必要がある、私達は歩きながら、そういう事について話した。 何か事件があったときに、何時でも自分達の先頭に立ってくれる人であるという風な信頼は普段からかち得て置かなければならないのである。その意味で大衆の先頭に立ち、我々の側に多くの労働者を「大衆的に」獲得しなければならぬ。以前、工場内ではコッソリと、一人々々を仲間に入れて来るようなセクト主義的な方法が行われていたが、その後の実践で、そんな遣やり方では運動を何時迄いつまでも大衆化することが不可能であることが分ったのである。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000156/files/833_28260.html より
- 今に通じる部分を感じる。
「ナニワ金融道」
『ナニワ金融道』を薦めるのは、娯楽のためではない。生命・財産に想定外のトラブルが起きると、脳は一瞬で思考停止する。それは予行演習をしていないから。
「致命傷となり得る状況」を安全な場所で仮想体験し、生き延びるルールを学習するための、最も安価で手軽なトレーニングが『ナニ金』なのよ。
他の人も書いてるけど、これと『闇金ウシジマくん』は特に進学校出た奴には必須。世の中には弱さと悪意で出来ている奴が結構いて、全力で潰しにいかなければいけない事もある。
https://x.com/ossan197108/status/1982349130812055822?s=20 より
クィア民俗学関連
入門的な概説 Chadwell-English,Tyler&Bronner,Simon 2018 Folklore and Folklife of American LGBTQIA+ Communities and Queer Culture. in The Oxford Handbook of American Folklore and Folklife Studies.
総論 Newall,Venetia 1986 Folklore and Male Homosexuality. Folklore 97(2) Turner, Kay 1993 Rewriting Tradition: The Queer Politics of a Lesbian Folklorist. New York Folklore 19 (1-2) Thorne,Cory W. & De Los Reyes,Guillermo 2021 The Folklorization of Queer Theory: Public Spaces, Pride, and Gay Neoliberalism. in Advancing Folkloristics. 島村恭則2022「ジェシー・ファイブコート他編『民俗学の前進』」『現代思想』50(1) Turner,Kay 2023 A Queer Time That Is Not Yet Here.Journal of Folklore Research 60(2-3) 荒木生2023「包摂的「常民」概念の可能性 : マイノリティによる芸術活動を読み解く」『常民文化』46
学史 Turner,Kay 2021 Deep Folklore/Queer Folkloristics.in Advancing Folkloristics. 辻本侑生2023「日本民俗学クィア研究史」『クィアの民俗学』 辻晶子2023「南方熊楠と岩田準一の「男色談義」『クィアの民俗学』 辻本侑生2024「柳田国男をクィアに読む」『接続する柳田国男』
クィアカルチャー O’Orain, Mary 1986 San Francisco’s Gay Halloween.International Folklore Review 4 Laude, Jan 1993 Body Rhetoric: A Study in Lesbian Coding. New York Folklore 19 (1-2) Weems, Mickey 2005 The Circuit: Gay Men’s Techniques of Ecstasy. in Manly Traditions. Ellis, Bill 2015 What Bronies See When They Brohoof: Queering Animation on the Dark and Evil Internet. Journal of American Folklore 128 辻本侑生2023「ゲイバレボールチームの現代民俗学」『クィアの民俗学』 Glass,Andrea 2023 Lesbutantes, Guerilla Queers, and Dyke Nights: Transgressing Heteronormative Borders and the Folklore of Queer Resistance.Journal of Folklore Research 60(2-3)
伝説・民話 Greenhill, Pauline 1995 “Neither a Man nor a Maid”: Sexualities and Gendered Meanings in Cross-Dressing Ballads. Journal of American Folklore 108 Orme, Jennifer 2010 Mouth to Mouth: Queer Desires in Emma Donoghue’s Kissing the Witch. Marvels and Tales 24 (1) Turner, Kay & Greenhill, Pauline 2012 Introduction: Once upon a Queer Time. in Transgressive Tales : Queering the Grimms. Seifert, Lewis 2015 Introduction: Queer(ing) Fairy Tales. Marvels and Tales 29 (1) 廣田龍平2023「異類/婚姻/境界/類縁」『クィアの民俗学』
ユーモア・ジョーク Dresser, Norine 1974 “The Boys in the Band Is Not Another Musical” : Male Homosexuals and Their Folklore.Western Folklore 33(3) Goodwin, Joseph 1986 Humour and Conflict in The Gay World. International Folklore Review 4
パフォーマンス Avellar de Muniagurria,Lorena & Cobra,Priscila 2023 Modes of (R)existence in Brazilian Traditional Cultures: Ancestry and Queerness in the Subversive Performance of the Carimbó Cobra Venenosa. Journal of Folklore Research 60(2-3)
宗教 Primiano, Leonard Norman 2005 The Gay God of the city: The emergence of the gay and lesbian ethnic parish. in Gay Religion. Howard, Robert Glenn 2008 The Vernacular Web of Participatory Media. Critical Studies in Media Communication 25(5)
HIV/AIDS Goldstein, Diane 1996 Welcome To The Mainland, Welcome To The World of AIDS: Cultural Viability, Localization and Contemporary Legend. in Contemporary Legend: A Reader. Goldstein, Diane 1991 The Responsible Folklore of AIDS. in Talking AIDS.
スティグマ Pohtinen,Johanna 2019 From Secrecy to Pride Negotiating the Kink Identity, Normativity, and Stigma. Ethnologia Fennica 46 辻本侑生2020「いかにして「男性同性愛」は「当たり前」でなくなったのか : 近現代鹿児島の事例分析」『現代民俗学研究』12 Põldsam,Rebeka 2024 Homophobic Discourses and Their Soviet History in Estonia. Folklore: Electronic Journal of Folklore 92
インターセクショナリティ Kosnick,Kira 2008 Out on the Scene. Queer Migrant Clubbing and Urban Diversity. Reprinted >from Ethnologia Europaea 38(2) Thorne,Cory W &De Los Reyes,Guillermo 2023 Queer Intersectionalities/Queer Folkloristics. Journal of Folklore Research 60(2-3) Gilman,Lisa 2023 Cake is Better than Sex: Pride and Prejudice in the Folklore of and about Asexuality. Journal of Folklore Research 60(2-3)
アーカイヴ Rimmer, Caitlin 2023 On Queer Remembering and Misremembering: Exploring Queer Aphasia. Journal of Folklore Research 60(2-3)
東アジア Park Kwan-su 2006 A Study on the Gay Sexuality in the 1940s in Korean Society. Asian Comparative Folklore 31 ※韓国語
フィールドワーク Proschan, Frank 1990 “How Is a Folklorist like a Riddle?” Southern Folklore 47 (1)
「AAゴールデンエイジ」
結局、日本初の女性首相の座を射止めたのは芦田愛菜だった。初の女性であるばかりでなく、憲政史上最年少での就任だった。
平成が終わり、さらに愛機(ラブマシーン)がわずか12年で終わり、愛子帝の請振(ギミギミシェイク)が始まった。ギミギミシェイク13年、西暦2043年に芦田愛菜は39歳で首相に就任し、現在は3期目の7年目、46歳である(ギミギミシェイク20年、西暦2050年)。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054888771609/episodes/1177354054888771633 より
- 何度見てもすごい小説だと思う。
「光が死んだ夏」展
【#光が死んだ夏 展 体験スポット紹介🏃♂️】
#ひかなつ展 では、 「希望ヶ山高校の教室」「メンチ兄貴」 「ヒカルの中」など、 展覧会ならではの体験型スポットも登場!
🎫http://eplus.jp/hikanatsu-expo/
#ひかなつアニメ
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https://x.com/hikanatsu_expo/status/1988895868297060819?s=20 より
- 展覧会ビジネスへのうっすらとした嫌悪感で行く気はないのだが(オモコロ展もそうだった)、どう見せているかを知るのは面白そうではある。
- これこそ権威主義的と喝破されそうなのだが、国立の博物館や美術館の企画展でもせいぜい大学生1000円ぐらいなのに、ただパネルと小道具が置かれているだけの展覧会に大人一律料金2000円以上出せるのか?というのはかなり疑問。場所借りる代金かかりすぎでは?と思う。学生だと映画1500円、美術館・博物館の企画展1500円(いずれも大人料金は2000円程度)で、ジブリ美術館が1000円と考えたときに、それを超えてくるとなると、もはや歌舞伎の一幕見(2000円程度)や宝塚の安い席(3000円程度)のほうがよくないか?
- そういうハイカルチャー(宝塚って大衆的では?とは思うがおそらく世間的にはそうなっている)の価格帯の良心性に気づいていないポップカルチャー/サブカルチャーウォッチャー層の財布を狙っているような魂胆がちょっと嫌なのかもしれない。相対的にクリーンな商売ではないというか……。大衆向けであることって、むしろ価格を下げて敷居を下げるみたいな方向性のもののことを言うべきで、情報格差に付けこむ方向のもののことをそう呼びべきではない。そういう意味ではチームラボの価格設定も写真が撮りたい若者の足元を見ているようで嫌いかもしれない。
- 「いい人すぎるよ展」とか「そういうことじゃないんだよ展」とか「友達がやってるバー」とかを手掛けているentaku、リーダー格の明円卓が広告代理店出身ということで非常に納得がいくものではある。共感とか体験とか、そういう点でビジネスとしてすごいなとは思うのだが、じゃあそれが社会をどう良くしているのかがはっきりしないし、その原点に社会へのクリティカルな問いが先だっている感じもないのがちょっとなぁと思う。
- 上の紹介画像で学校の机の上にプロジェクターで抽象的な絵を当てているのは面白い。学校の机を安く買う方法はないかなと思ったが名古屋のリサイクルショップみたいなところしか出てこなくて悲しくなった。定価1万数千を出すしかないのか……?
気になっているツール
【超初心者向け】Obsidianをパソコン何も分からない人でも導入できるためのノート
- Obsidianが気になる。このサイトがあるので日記は十分に書けており、それでいいのだが、もしかしたら使えるかもと思っている。
原因は自分にある。『パラノイドランデブー』リリースイベントの記録
- 2023年2月に『無限の終わり』のリリースイベントに行った以来の柏。駅の風景やバスの雰囲気などが懐かしかった。以前のリリースイベントの時には学園祭関係の電話(今絶賛不仲にある人間と!)を朝方までしてからほぼ始発で突っ込んだので、その時よりずいぶん余裕があるように感じた。柏じゃない駅から行く方法もあったのだが、意図的に塗り変えていくことが必要と考え、あえてまったく同じルートを選んだ。
- 当初はお渡し会だけでいこうとしていたのだが、全員を近くで見たいなという感情に負けてハイタッチ会も購入。
- 会場で金木犀の香りがしたのが良かった。良い記憶で上書きされていく感覚。秋のリリイベ、とてもよい。

フリーライブ
- 杢代和人さんだけレイヤーが違う感じがした。また一段と綺麗になって……という感じだ。
待ち時間
- リリイベは待ち時間がとにかく長いので、その間うまく楽しめるかどうかが全体の満足度を大きく左右する。

ハイタッチ会
- 大倉空人さんは列の一番手前ということで、トップバッターとして相変わらずちゃんと声を出してくれるので安心した。
- 小泉光咲さんは眼帯をつけたことで余計にドール感が増していて、生存感というか、人間味が一切なかた。
- 長野凌大さんは背が小さくて目線が合わなかった。ちいかわ。
- 杢代和人さんは次のオタクに目を合わせに行っており、目が合わなかった。かなしい。
- 吉澤要人さんが優しい雰囲気だった。
お渡し会
- 隣のブースにいる大倉空人さんが「洗濯用洗剤はアリエールが……」みたいなことを言っているのがテントの外まで聞こえた。
- 小泉光咲さんに「パッと見で僕のイメージに合うげんじぶの楽曲」を聞く。イメトレ重ねるもおぼつかない感じに。目を見てうーん……と考えた後、Maniaかなとひとこと。ありがとう!めちゃくちゃ聞きます!ありがとう!と言って退散。僕のイメージを漢字一文字で!という案はさすがに難度が高いと考え断念。光咲さん、黙って待ってくれて、聞く力を感じた。
- 想定解がくるのが怖いというか、最近の曲だったらどうしようかと思っていたら斜め上からぎてビビった。なんとなく柘榴な気がしてたけど確かにmaniaって正しい……。狂気性を見抜かれてるのかもしれん。
- 質問意図としては、魔法をかけてほしいというのがあった。今後その曲をライブでやった時に、僕のイメソンだという気になることができる。
- 漢字をつけるのは前のと似ている部分もあるなと思ってたのでちょうどいいラインを見つけた感はある。 次は合いそうな匂いとかいいかもね、魔法になりそう。呪いともいう。

帰り際
- 帰り際に通りがかった子どもエリアみたいな場所に掲げられていた格言がけっこう印象的だった。

原因は自分にある。『犬と猫とミルクにシュガー』の解釈
不完全なんです 観念なんて君は甘すぎんだ わかってないね徹底的に 嫌い嫌い嫌い てごわい 残念反面教師にだって 愛とかってあんだ? 角砂糖もう一つ 君のカップに落とした
『犬と猫とミルクにシュガー』歌詞より
- 「共和主義」「指導者」「ABCD包囲網」「surrender」「安全の為」など、あまりアイドルの楽曲で見かけない単語が多数登場している。その一方で、描かれている風景はカフェでの他愛もないやり取りのように見える。
- 角砂糖が原爆のことを指しているのではないかという説があり、自分もそう読めるように感じる。「角」と「核」の掛詞になっているという指摘も、なるほどと感じた。原因は自分にある。の楽曲の中でも特にギリギリの内容を歌っているように思える。
- 1番サビとラストサビで「角砂糖まず一つ君のカップに落とした」「角砂糖もう一つ君のカップに落とした」と並べるのではなく「角砂糖もう一つ君のカップに落とした」「角砂糖もう一つ僕はそっと隠した」になっているのがかなり肝。かなり不穏な終わらせ方になっている。
原因は自分にある。 『犬と猫とミルクにシュガー』歌詞考察 なな(@tktnyan_ )と数日間、犬と猫とミルクにシュガーの歌詞について考察を重ねました
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ツイートより引用
コロナ禍に 曲中で第二次世界大戦の日本の敗戦ことを語って 掛け言葉(角砂糖)をつかってまた核戦争が起きるよ、って予言するような曲を 提供されてフワフワ歌うアイドルグループなのよ、原因は自分にあるって #熱愛プリンス 「犬と猫とミルクにシュガー」 https://www.youtube.com/watch?v=9ACHYl5SuZg ツイートより引用
夢日記
- 教育とは何か?という問いに対して、「父性のゆるみ」「与えられる前に戻れる」みたいな啓示を受けて、言い得て妙だなと感心していた。起きてみるとそこまでではないだろうという感じがする。
- その流れの中で「残響」「リバーヴ」という単語が出てきたのも妙に印象に残っていた。夢の中ではおそらく教育の一つの捉え方として提示されたのだが、起きてみるとまるで関連が分からない。
- 夢日記っておそらく危険行為なのだろうなと思っている。整理が完了したものをもう一度掘り返してしまうことの危うさというか。そこに引っ張られていくと現実と夢の境目が分からなくなっていきそう。
女性性の匂い
- 『チェンソーマン』の映画を見るために総集編を観ようとしている。そこで、女性性の匂いがする作品が嫌だなということに気づいた。
- 幼い頃、ドキンちゃんのキャラソンが苦手だった。かわいらしさみたいなものがアピールされている感じ、そして「かわいい」といわされる感じが嫌だった。
- 小学生ぐらいで知ったワンピースも、絵柄で読めないなと感じた。別に当時はノンケであるし、別にフェミニズムの考えもインストールされていないから不思議ではある。性に訴えかけるような露骨なコンテンツに触れること自体が何か汚らわしいことのように考えていたのかもしれない。
- 藤本タツキ作品もそういう部分がある。過度にフェミニンな感じが少し苦手である。
『飛べない天使』の感想
「飛べない天使」は、都会での生活に疲れたOLの優佳と、病院から抜け出してきた孤独な青年・聡太郎の不思議な逃避行を描いたファンタジードラマです。ある夜、優佳は枕を抱え白い羽根を散らしながら商店街を駆け抜ける聡太郎を目撃し、再会した彼は優佳をどこかへ連れ出します。二人の逃避行を通じて、自分自身を取り戻していく姿を描いています。
Geminiによるあらすじ紹介
- 吉祥寺アップリンク、パルコの地下ということでだいぶ独特な空間だった。BGMがかかっていない場所があってすごい緊張感があるし、『千と千尋の神隠し』に出て来るようなトンネルみたいな場所もあって困惑してしまった。イスがたくさん並んでいて、本当にこの人数が全員映画を見るはずがなくないか?というほどに多い人数が座っていたのも怖かった。「淀み」という言葉がまさに似合う感じで、自分が早稲田祭でやっていたことってこういう、あぶれた人を受け止めるスポット的な感じだったのかなとか思ったりしていた。
- 下北沢の小劇場とか、こういうミニシアターというのは、このハイカルチャーに私はついていけるか?という不安感が伴う場所である。フライヤー置き場にはめちゃくちゃパレスチナ関連の映像のフライヤーが置いてあり、そういうリベラル色の強さも感じるので、京大の学生寮に足を踏み入れた時にも近い感覚かもしれない。
- 映画は、『ぼくのお日さま』みたいにもっと夢みたいな質感で描くのかと思いきや、リアリティラインをしっかり出していたのが印象的だった。音が急に大きくなったり、フラッシュバック的に映像が挟まったりと、不安にさせる演出が独特な映画だった。夢って確かにこういう感じだよねと思った。また、確かに天使といえば天使ではあるのだが、病院から抜け出してきた青年・聡太郎という世間知らずな存在はちょっと怖くもある。天使って本当に下りてきたら障がいをもった人のような扱いを受けるのだろうな、と直感させる映像だった。天使は喋り方も独特だし、食べる時に全然話さないしで、こいつなんなんだ?と疑心暗鬼になりつつも徐々にその自由さに癒されていく感じが良かった。青木柚の芝居がすごい。
- 最後の方で一気に現実と夢を曖昧にして、時系列をぐちゃぐちゃにして映像が流れるのは本当に素晴らしかった。確定した解釈ができない感じというか、映画全体が「聡太郎が実際に生きていたころの様子を優佳が振り返った夢」ともとれるし、「実際に聡太郎と優佳が歩む姿をリアルタイムで追った映像」ともとれるし、「そもそも聡太郎はおらず、イマジナリーフレンド的に優佳の夢に現れた中で出会いから別れまでを辿っている」ともとれるようになっていた。
正しさについて考える
- (単一のアイデンティティに自己を収斂させて語る手法としての)アイデンティティポリティクスのことを考えている。たとえば、その収斂させた特定のアイデンティティに関係する権力構造を想定する。その時、はっきりと権力勾配があるとみなせるなら、その下位側は上位側に対してどんな手段を用いても良いのか?という問いがある。冷静に考えるとダメに決まっているのだが、そういう発想が多少なりとも自分にはある気がする。たとえば社会的に劣位に立たされやすい女性が、付き合っている男性の性事情的なことを友人のコミュニティで暴露する。これは冷静に考えれば絶対にダメなのだが、消費される側であることを拒むひとつのプロテストであるように一瞬だけ思えてしまうことがある。
- アイデンティティポリティクスに狭い話からもっと話を広げると、旧ジャニーズ事務所がポップカルチャー史の中で果たしてきた役割というのは、男性―女性の間に合った主―客の関係を覆すところにあったといえるわけだが、それが男性タレントに対する加害行為によって成り立っていたのだから、より大きい正しくなさをより小さい正しくなさによって打破していただけにすぎないともいえるわけだが、それを批判すると巨悪が放置されるのではという危惧を抱かずにはいられない。また、これは暴力は本当に絶対に許されないか?という問いにもつながってくる。当然許されるはずはなく、言論でたたかうしかないのだが、でも、何か特定のアイデンティティの影響でそういうことすらできないような劣位に立たされている人というのもいるはずではある。安倍晋三が暗殺された際にリベラル系の言論人がそういう趣旨のことを言っていて議論になっていたような気がする。安定した共同体運営の建前として「暴力はいけない」といいつつも、個人の倫理観としてはそれしか残されていない可能性ってないのか?とも思っていたいようにも思う。
- 正しくなさの敵視され度合いの差というものに思い至った。男性大学生が男子高校生の写真を壁紙に設定するのははっきり言って気持ちが悪い。そこらへんの感覚がよく分からないのだという話をある友人にしたときに、女子高校生に置き換えれば分かるといったようなことを言われ、かなり腑に落ちる部分があり、それ以来は年下のグループのイベントには行かなくなってきている。それは前提としつつも、でもその友人が男子だけの飲み会で特定の女子とそういう行為をする段取りを妄想する話をしているのも、十分すぎるぐらいに気持ちが悪い。しかしこの気持ちの悪さは、男性どうしのコミュニティでは問題視されない。これは結構致命的なエラーなような気がする。
- 職業選択について。官僚とか弁護士とか医者は手続きの正しさがあるから良いのでは、という話を先輩から聞いていた。その時はまあそうかと思っていたのだが、目的の正しさと手段の(手続き的な)正しさ、どっちも追求したいかと問われると微妙な気もする。おそらく高校でやってきたことと大学でやってきたことの大きな違いは、いくら間違っていても、目的達成できる手段がそれしかないというときにその手段を選択できないのは違うのでは?という意識の有無のように思えてくる。明らかに自分の目的が達成できる道が一本見えているなら、それを選ばない方が神に対して無礼、というような感じというか。その選択ができるようになっている時点で、手段としての正しさというのは自分にとってオプションでしかなくて、結局は目的の正しさだけでは、と思えてくる。殉じることのできるお題目、となってくるとやはり「次世代への託し」になってくる。そうなってくるとやっぱり教育って良いのではという気持ちもする。
- じゃあエンタメを創るというもう1個のありえる選択肢で何かしたいのかというと、それはnormativityに働きかけるということに他ならないように思えてくる。直接的なメッセージを発して具体的な行動を起こしてもらうというアジテーションのようなことをしたいのであれば、報道のほうがいいに決まっている。報道にするにしても、媒体はいろいろである。テレビよりもarchive性や公権力との距離感として新聞が良いのでは、という話も聞いたりすると、迷いはさらに深まっていく。いや、報道というのはしょせんエリートのためのものにすぎないのだから、エンタメのほうが巻き込める人数は多いという反論もあり得よう。実際、自分の中には地方の漁港に届かないといけない(秋元康が、漁港のスピーカーでも聞こえるように曲をプロデュースしているという話からきている)という意識がある。だが、それはあまり芯を食った議論ではない。エンタメは何を形づくっているのかというと、人々の無意識レベルでの「当たり前」である。家族とはこう、恋愛とはこう、友情とはこう、労働とはこう、努力とはこう、勝利とはこう、というnormativityを形づくっている。エンタメは政治性が隠蔽されており、人々は危機意識なくそれを取り込んでしまうから、政治性に溢れた報道よりむしろ強固にnormativityを形成する方向に働いているように思われる。それを変えたいのである。報道を支持する姿勢にはどちらかというと公権力 vs. 市民(資本家 vs. 市民でもいい)という上下の構造への強い意識がある気がするし、それは実際非常時にはかなり重要になる視点だと思うのだが、自分はどちらかというとフーコーの権力観、言説が人を縛るイメージというものをもっている。それは国家が喧伝した言説もあるだろうが、企業が喧伝した言説(「脱毛したほうがいい」など)もあるだろう。マジョリティが吹聴する言説もあるかもしれない。それに対して、作品を通してこういう生き方もあるよね、こういう価値観もあるよね、という光景を幅広い人に印象付けること。そうして、理想的な未来の社会の光景をじっくり引き寄せたい。長い目でみて考えたい。こうやってまとめてみると、エントリーシート等では、結局分かりやすさのために「見た人に明日の行動を変えてほしい」というダイレクトな話ばかりしていることに気づいた。それは一般的過ぎる話で面白味もないので、書き換えたい。
- ここまで書いていて、学園祭のテーマ設定の話にもつながってくるように感じた。どうしても自分が関わっていた早稲田祭は「明日」を意識したテーマになりやすい。これは何も学園祭に限った話ではなく、大学内でのパフォーマンスサークルの単独公演ですら、明日を踏み出す勇気、というのがフィーチャーされやすい。確かに勇気をもらう部分があることは理解できる。ただ、その体験がもたらすインスタントな効用だけに目を向けすぎなような気もする。その意味で、自分が幹部代だった2024年のテーマは「結集」ということで明日のことよりも今、という視点の移し替えがなされていることで、逆説的に広い視野が開けているように感じられたというか、むしろ効果の矮小化に陥っていないように感じられた。そういう意味でも好きだったのかもしれないなと思った。
みいちゃんとかタコピーみたいなコンテンツは、“こういう世界もある”と学べる(そしてそれが人生の期待値を高める)から、ある年齢までは益もあるけど、人生のステージを経て、そういう世界があることも既に認識して、自分はそこには縁がないってのが見えたら、心をすり減らしてまで読まなくてもいいぞ
https://x.com/haru_yuki_i/status/1989232564171952230?s=20 より
- ここは結構やりたいことと重なってくるかも。
続編の是非を考える
- トイストーリー、白雪姫、スターウォーズの続編/実写化の是非に関して。日編的な論調も多い。現実の人間への影響の話。白雪姫、スターウォーズはそれが大きい気がする。それがジェンダー規範や血統主義を支えてきた部分がある。それを壊すためにはその作品でやるのが一番有効。スターウォーズは8でその破壊をしながら9で無理やり戻ろうとしたのでめちゃくちゃになっている部分は大いにある。トイストーリーは、「おもちゃの主体性を描いた」という4の特性に照らし合わせて考えようとすると、おもちゃが人間の子どもに従属する規範があったとてそれは問題ないはずなので、そういう文脈で語れないように見える。でもどちらかというと、ボー・ピープのウッディに対する従属性とか、バービーの描き方とか、そこらへんが問題という認識が出発点なのではと思った。「おもちゃが実は意思を持っている」というトイストーリーの発想時点では、カウボーイとそれを支える淑女という西部劇の価値観が、玩具の”人間”関係の中で再生産されているというところに面白味があったのだが、それがもう面白味として弱くなっているのでは。おもちゃ対人間、の話をしようとしていると考えるのではなく、おもちゃ対おもちゃの中に人間対人間を見出していたり、社会規範を再生産するおもちゃを作ることの危うさ、というものを描いている部分があるように思えてくる。
日常生活
推しに心閉ざされてるから,表層しか見せてもらえてない女よ
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https://x.com/iroiro_kangae/status/1467462815191826432?s=20 より
- この感じ、最近のゼミで経験したので身にしみるような気持だった。
- 自分含め2人しか男子がいないゼミで、そのもう1人の男子は友達連れとかではなく1人でゼミを選んでくる感じとか、優しげな雰囲気というものがあって、うっすらとした推しになりつつあった。
- この前ゼミに向かうエレベーターを待っているときに、その男子も待っていた。そこでたまたま通りかかった友人に下の名前で呼ばれて仲良さげに話す光景に、これまで自分が見てこなかった彼の一面を見たように思えた。
- そうなってくると見方も変わってくるもので、どうも論文の内容がアンケート重視で研究としてはちょい弱いなとか、ふつうの人間は金髪にしないよなとか、そういう「推しにするには都合が悪かったためにあまり重視してこなかった側面」が前景化してくる。こういうろくでもなさというか、不幸というか、そういうものを思い出す漫画だった。
谷崎の小説を読んでいてつくづく思うのだが、崇拝というのは肯定と対極の態度であり、相手を理想化し、特定の条件を満たしているあいだだけ維持される関係で、相手が理想像から外れた瞬間に、崇拝は一瞬で崩れる。一見「相手を高く評価している」ように見えて、実際には相手を理想の枠に閉じ込めて、相手を通して自分の欠落を埋めようとしているのであって、理想像から外れた瞬間に、その落差に耐えられず一気に幻滅してしまう。
肯定というのは「良い/悪い」「正しい/間違っている」という評価の軸に乗せない、つまり存在を判断の文脈から外す態度で、多くの人が「肯定=褒めること」や「受け入れること」と混同するが、肯定とは、価値づけをやめることで「この人は優れているから尊重する」「この人は弱っているから受け入れる」ではなく、相手が今ここに在るという事実を、それ以上もそれ以下もなく扱う。
言い換えれば、肯定とは「意味づけを保留する勇気」で、相手の変化を促そうともしないし、自分の理解に収めようともしない。ただ、その存在を“世界の一部としてそこに在る”と認識する。
早稲田祭2025
- 今年も関わっていた早稲田祭が終わった。なんとな自分がやっていたプロジェクションマッピングを下の代に引き継げたので安心している。ある程度免罪されたような気らする。
- これ以上のことは、書くことによってかえってよくない感情になりそうなので書かないことにする。












