日記(2025-07-20)
SS! Creation
ファンタジーを書く
去年の学園祭企画でできなかったファンタジー色の強い作品を作りたいと思っている。クィアをイメージできるような何かモチーフをもってきて、暗喩的にやりたい。
ちょっと雑語りになることを許してほしいのだが、KPOP女性アイドルがデーモンを倒す内容で今話題の「KPOPガールズ! デーモン・ハンターズ」、個人的には「アナと雪の女王」「あの夏のルカ」と並ぶ“決して直接的に描いてるわけじゃないものの特に若いクイアな者たちに響き得るアニメ映画”だなと感じた。
しかもイディナ・メンゼルは「RENT」のモーリーン(バイセクシュアルで彼女がいる役)や「アナ雪」のエルサなどミュージカル作品でクィアな役をオリジナルキャストとして演じ、Defying Gravity以降にも『Let It Go』『Show Yourself』といったゲイアンセムと名高いミュージカルソングを歌ってきたのね
『アナと雪の女王』はその点本当に名作で、あれがあることで救われた子どもは結構多いのではないかと感じる。
全共闘BL、野村史子「テイク・ラブ」ですね。古書で入手可能じゃないかな。
これはJUNE全集
全共闘とか、社会運動を取り扱う作品も書いてみたい。
創作活動をするにあたり、「辛くて苦しいほど、孤独であるほどいいものが作れる」という気持ち、かなり分かる
制作姿勢
TBSプロデューサーの「作品で伝えたいことは特にない。視聴者の見たいものを作るのが我々の仕事」発言が忘れられないんだけど、そんな意識で作られた作品が面白いわけないし。どこまでいっても”BLのことはよく分からないけど”というスタンスから抜け出す気は無く、現実の諸問題に向き合う気も無い。
裏取りができていないので誰の発言なのかはよく分からないが、民放の制作姿勢って往々にしてこういう部分があって良くないなぁと思う。そこに対して批判的な作品を作れるのはカンテレぐらいなのでは。
AviUtl2
うっそでしょ?!!?!AviUtl2やばいです!!
まじでやばい!!!!!!!!!4kで録画した17Gの動画データを放り投げたら一瞬で読み込みして、分割しても一瞬で分割、再生可能でした。
はあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
突如として登場したAviUtl2、性能がすごそう。
SS! Reflection
救世主症候群
例の燃えた機能不全家庭も保護猫ボランティアやってるみたいだけど、クズみたいな配偶者と結婚して子供作って、立派な機能不全家庭を築いて、自分の足元もグラグラしているような人に限って、他者や弱いものを「支援」したくなる謎。例の人は、支援対象が人間の子供ではなく猫なのが救いではある。
これは
「救世主症候群」メサイアコンプレックスとも言われるんだけど、精神疾患の症状。
やりがちな側から心理を言うと
苦しい人で支え合わなきゃ!
誰かを支える余裕がある!!ほら見てよ!!私はまだ大丈夫!(このアピールの結果他人の迷惑になる)こういう心理
パッと見まともなガワがあり厄介
これは少しあるかもしれないので気を付けたい……。
SS! Society
属性に還元しない
元ゲーセン店員ワイの感覚
そんなに言うならまずは君等が男による悪戯、盗撮等の小さな(?)迷惑行為から徹底的にぶっ潰していくべき
迷惑行為をする個人が悪いのであって、性別は関係ありません
反差別の基本中の基本ですよ
これ本当にそう思う。後こういう時に店の経営者の立場に成り代わって宥める役をやりたがる人は何なんだろうかと思ってしまう。いくら経営上の合理性があっても差別は差別では。
トランス差別言説の文脈と近いかもとか一瞬思ったが、あれはトランスジェンダーを装っている人間の問題をトランスジェンダーの問題にしている誤謬であって、特定の人間の行いを属性全体の問題へと引き上げるタイプの誤謬とも違うやつだと思った。
「見えなさ」の問題
昨日コンビニで列の順番を守らなかった中学生くらいの男の子がいて、思わずレジのおばさんに「あの子横入りしましたよね?」って言ってしまったんです。そしたら「あの子近所の知的障害の子で、ちゃんと並べる時もあるんだけど今日はちょっとできなかったみたい。ごめんね。見守ってあげてね」と言われて、おばさんに謝罪して店を出ました。人が人と生きていく上で、正しさや規律や秩序よりも、大切にしていくべきものがあるのに、そしてわたしが今ルールを守れる健康状態なのは、たまたまでしかないのに、正しさのかたちをした暴力を振りかざしてしまったことが、恥ずかしくて仕方なかったです
これ、坂本裕二が映画『怪物』の時に言っていた、クラクションを鳴らした話と通じる部分がある。
坂元氏は、着想のルーツとなった自身の身辺に起きた出来事を語った。
「以前、車を運転して赤信号で待っていたら、トラックが止まっていて、信号が青になっても、しばらく動かない。プップーと、クラクションを鳴らしたところ、それでも動かない。ようやく動いたら横断歩道に車いすの方がいて。トラックの後ろにいた私は、それが見えなかった。クラクションを鳴らしてしまったことを後悔していまして」
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202305290001273.html
日傘の導入
毎年のようにハンディファンを買おうとしては逡巡し続け、気が付けば夏が終わっているのだが、今年こそは何とかしたい。でもハンディファンよりも日傘を導入することの方が急務になってきそう。
易疲労性が強い民(成人)、とりあえず日傘とサングラスを装備するのです…… 日除け対策があるだけで若干マシ。日差しはごりごりHPを削ってくる。スリップダメージ。
7月7日
「元号でいうとラッキーセブンだから結婚届けラッシュ」みたいな記事を見て、「同性婚の実現はずっと前から望まれてるのにそのラッキーセブンに間に合わなかったんだな」てめちゃくちゃな気持ちになった
これは本当にそう。当事者性というのは強力で、誰かを排除していることがここまで社会問題として明確になっている法制度をさも全員が当たり前に利用できるかのように会話を展開する姿勢(心性といってもいい)が自分は本当に理解できない。
就活
もういい加減慣れてきてしまったのだが、そこに通底する価値観への強烈な違和感が薄れないうちに書き留めておきたいと思う。
こういうことはしょっちゅう言ってるのだけど自分が鬱っぽくなってくるとなおさら書き残しておきたくなりますよね、というエッセイ 連載更新されています
https://www.yomiuri.co.jp/otekomachi/20250710-OYT8T50018/
https://x.com/chiffon\_06/status/1945572415712760165/photo/1
就活のグループワーク、「利己的な利他性」というself-contradictoryなコミュニケーションを、各人が独立に展開していてマジで気持ち悪かった
採用のために、自らが他人を思いやれる人間であると示す必要があり、そうして発露された「利己的な利他性」が顔面に張り付いた作り笑いは、酷く醜悪に見えた
これは本当にそうで、宮崎駿が『風立ちぬ』の声優オーディションで庵野秀明を前に言った、俳優の芝居の良くない点を指摘する言葉を思い出す。「相手の心を慮ってばかりいて、慮ってるフリをして、感じを出して、感じが出てる僕」という。
連帯の意味
わたしは今までクィアコミュニティへ連帯を表明する映像コメントを出したりレインボーの衣装を着てみたり、昨年は曲とMVを出したりしたんですが、周りのスタッフにアライが居らず。そうするとシスヘテロにクィアとは何かと説明をすることに終始してしまってその先の議論・表現に届かないんです。
これは非常に分かる。そもそも「クィア」がまず通じないので、その先の話ができない。
可視化の大切さがよく分かるオスロープライドの動画。ぼくが民間企業でも中央省庁でも常にプライドグッズを身につけているのは「独りじゃない」「安心してもいい」というサインと共に「悪いこと起こらない」という経験を伝えるため。ぼくたちはいつもありのままで美しい。
自分の選挙の時、迷いに迷って、ある日からレインボーフラッグ出すようになって、もう最後らへんに「見てました」って声かけてくれた人いたのを思い出す。レインボーフラッグも、スタンディングも、選挙も、やってる側が思ってる以上に、いろんな意味を持つことがある。みんな、がんばろうな。
なるほどと思った。今お世話になっているカウンセラーの方の名札にアライであることを示すステッカーが貼ってあって、安心できたのを思い出した。先月のプライド月間からスマホの裏にレインボーステッカーを入れるようにしているのだが、それが街中ですれ違う誰かの支えになることを願う。
選挙
選挙期間というのは気が滅入りやすい。民意が表になるということはつまり大衆の悪意も見えるということで、今回の選挙は特にそれを感じた。サークル内で人権尊重みたいなことをやろうとしたときの反応の厳しさは当時正直理解できなかったが、これが民意だとするならそりゃそうなるなという感じがしてきた。前進するどころの状態ではない。
ただそういう大衆の認識への絶望って選民意識と直結していて、「自分だけが気づいている」みたいな振る舞いにつながりかねないので、そうはならないようにしたいという思いがある。それなら対話を重ねるしかないのだが、そのコストを負い続けられるほど日々に余裕ってなくないすか?とも感じる。
ごめんちょっと日本語圏の最大公約数的な人がどんな生活送っててどんな価値観で普段どんなメディアで何見ててみたいなペルソナ教えてほしい、それだからこんな政党を支持してるんだなって納得したいから。たぶん全然分かってない気がする。もう少し皆のこと知らないとだめだわ、想像力追いつかないて。
選挙は重要な政治的機会ですが、選挙だけが社会を作るのではないです。それは社会運動論者がずっと言い続けなければいけないことだと思ってます。選挙権のある人もない人も、社会を変えてきたし社会を作っています。これもずっと言い続けなければいけないことだと思ってます。
投票ポスター
#投票ポスター2025 、参加しています。
ヘイト街宣を聞いて、感じたことをポスターにしました。ネットワークプリントに登録したので、ファミマやローソンで印刷してお部屋やお店に貼ってください。
ユーザー番号 : DBFW35NZZU
ボックス名 : みさこみさこ
# 差別に投票しない # 参院選2025
チームみらい
同族嫌悪から、近い属性を出た人間が政治家をやろうとしていると疑ってかかってしまう。そういう意味でバイアスがかかっているとは思うのだが、チームみらいがやろうとしていることにはいささか懐疑的である。
チームみらいが人権について非常に消極的(婉曲的表現)な理由がよくわかる。
「人権」という言葉を大きく嫌うコア支持層がいて、提案を止めてしまう。
これでは夫婦別姓すら入れられないだろう。
オードリータンの「熟議」とは程遠く、合意形成はできず、所謂保守派が優勢となる仕組みになっている。
チームみらい運営の彼らはどうしていたのかというと、有名私立中高一貫校の出身者同士で、クラスの中心メンバーを担っていた…そこは頻繁な飲み会と旅行で成り立っているコミュニティだったから、お金に余裕のない人は自然といなくなっていた。
…(中略)…
行動を起こさない者が行動している者を批判するなと言われるかもしれないが、行動しなかったりできなかったりする人の意見は聞く必要がないという姿勢こそが危険だと、この記事では言いたかったつもりだ。
これは良い視点だ……。金銭支出を前提としたコミュニティって公共性に欠けてるって意識、自分も高校の頃は持ってたはずなのに大学でサークルに入ってからなくなり始めたことに気づいてぎょっとした。
いやほんと、チームみらいのこういう顔を知らずに、「優秀だけど政治ズレしてないナイーブな若者」みたいに思ってる人が多くて困惑するんですよね。大衆をキュレーションで抑え込みたいというテック業界の意を受けた政治人形に過ぎない。
チームみらいの強火の支持者は周りにもいっぱいいるけどやっぱり男子校出身者が多くて、みんなすごく仕事できて性格も良くていい人たち。でもそういう人たちが女性比率とかに言及してるのは今のところ見ておらず、すごい無邪気にボーイズクラブをやってる感じが危うい。
チームみらいが選択的夫婦別姓についての見解をマニフェストに載せていないの、こういう言い方は良くないとわかっているけれども、やっぱりボーイズクラブなんじゃないのって思ってしまいます。戦略とかもあるだろうけど、いろんな課題の中で、「そういう扱い」にするのがこれなんだなという感じです。
参政党
英フィナンシャル・タイムズ紙は参政党について「極右」と表現し、「以前は泡沫勢力と見られていたが、潜在的に大きな影響力を得た」と伝えました。
安倍政権時に自民党が掴んでいたはずのネットの若年〜中堅層の支持が、岸田政権で離れ、総裁選を巡る「積極財政」層の反石破キャンペーンでさらに離れ、そこから一度国民民主党を流入し、参政党へと流入した、と考えられる。
選挙終盤にはロシアからの介入疑惑が問題になった。
【Xアカウントへの JAPAN NEWS NAVIバッジについて】
日本政府や自民党に対して日常的に誹謗中傷と大量のデマを拡散するXアカウントについて調査したところ、約8割がロシア製ボット(自動投稿システム)であり、JAPAN NEWS NAVIというサイトが中心となっていることが確認されたとのことです。
また当サイトで時折取り上げられる記事にはロシア系ニュースメディア Sputonik の内容が視認されます。
これらロシア系ハッキンググループの運用ボットが当サイトとX上の特定アカウントを初発とし大量拡散させている事態について、特定アカウントはほぼ共通して「日本を守りたい」「日本を愛する」などの文言を掲げて、参政党への熱烈な支援内容を投稿し続けています。
加えて上記ロシア系メディアSoutonikは、選挙期間中にも関わらず参院選東京選挙区の参政党「さや」候補のみを特段の記事として取り上げ紹介しています。
これらのことから、X社は昨日からJAPAN NEWS NAVIに関わる特定アカウントにバッジをつけ始めたようです。関連性の証明はこれからとなりますが、英国がEUから離脱することとなったBrexit の際にも国民投票の直前48時間に大量のEU離脱を呼びかけるツイート投稿が確認されており、今回の件との類似性が考えられます。
反政権、反米、反ワク。石破総理、岩屋大臣、小泉大臣などへの大量デマ。ロシア製ボット、参政党支持アカウント、JAPAN NEWS NAVI。
今回の参院選では当初からあまりに大量のデマや誹謗中傷が発生していました。しかしながら日本の憲政史上、ここまでの圧倒的物量による外国からの世論介入の顕在化は他に例がなく、選挙の正統性、有権者と世論の尊厳、そして日本国家体制の厳格な独立性について足元が大きく揺らぐことになりかねません。日本政府はいまだこれらのことについて言及するそぶりはありませんが、この事態について一刻も早くすべての日本国民は知るべきであり事態は白日の元に晒されるべきであります。
スプートニクって……
ロシアにとって、選挙の勝敗は重要ではありません。プロパガンダの目的は「民主主義国の分断と不信の醸成」。支離滅裂な言説をまき散らす政党ほど、利用するには格好の存在です。
軍事研究家・小泉悠氏の指摘を引用します(東京新聞):
https://tokyo-np.co.jp/article/336296
「交流サイト(SNS)は人がもともと持っている偏見や思想を先鋭化させることはできる。右寄りの人はより右に、左寄りの人はより左に。差別的な人はより差別的に。アナキスト的な人はよりアナキスト的に。それぞれの世界観を持つ人たちに、あなたが言っている通りですと、その証拠とされるものをたくさん突きつければいい。考えを先鋭化させるのは簡単。そうなると、社会の中で対話ができなくなってしまう。認知領域戦の一番のキモは、話を通じなくさせることだと思う」
その一方で、下のような言説も。これはすごく思う。「~~がいると社会が壊れる」などと言われると、少数なのにそんなに力があると思われているのかと、逆にエンパワーメントされた気になってしまう。
女が子供を産まないことで国を滅ぼすこともできるなんて、夢があるよな。生きる力が湧いてくるよ。
リベラル
「思想が強い」っていう若者言葉にも反左翼的な、少なくとも反知性主義的な意味が含まれてるんじゃないかな。オレンジの政党に「思想が強い」と言う人は見かけないので。
何かリベラルっぽい人が「私は民主主義を擁護し反知性主義に反対します」と言っていたんだけど、「知性主義」とは「政治そのほか社会の仕組みは学者や専門家に任せておけばいいので、究極は民意なんて問わなくていい」ということで、それに反対する民主主義擁護が反知性主義なのだから意味不明である。
ただ本邦のインテリ左派ってのは、究極的に「政治そのほか社会の仕組みは学者や専門家(それが俺たちリベラル)に任せておけばいいので、究極は民意なんて問わなくていい」という考え方が好きでしょう。だから反知性主義の誤用がスッと彼らの胸にしみこむんですよ。そうとしか思えん誤用の普及がある。
AIと翻訳
grok translation 🐐
google translate could never
これはすごい。NHKの選挙放送で、視覚障碍者の方が選挙公報を読む際に、縦書きだったりすると読み上げソフトの読み上げ順がめちゃくちゃになってしまうという問題が取り上げられていたのだけれど、こういう技術が進歩すればそういうのも減っていくのでは。
まず、この選挙公報を音声で読み上げたものは任意のため、すべての候補者のものが掲載されているわけではありません。
「読み上げ版選挙公報」の中には順番通りに読まれていなかったり、グラフやイラストが「イメージ」とだけ読まれてしまったりすることがあるからです。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250717/k10014865581000.html
統計を知る
人は誕生日に亡くなりやすい、お祝いにアルコールとか飲んじゃうからね。という結論はさて置き、その結論に至るためにどういう統計的な操作が必要かを丁寧に見せてくれて、この媒体の記事は大学1・2年生になぜ統計を勉強すべきなのかいい感じに見せてくれてイイよね
SS! Culture
短歌
南:そんな穂村さんがこのたび選出してくださった作品が椛沢知世さんの『あおむけの踊り場であおむけ』という歌集です。 すごく素敵で。この作品の魅力を改めて穂村さんからうかがってもいいですか。
……(中略)……
穂村:例えばさ、日本語検定1級の外国人って現実にいるわけじゃない。話しているのを聞いたらネイティブにしか思えないっていうような人が。でも、話すとやっぱり何かがちょっと違う。それは言葉のレベルがどんなに精密でも文化的な違いが消えないからですね。そういう人の言葉には、自分たちが日本の都市や町並みとか見慣れているものや、思い込んでいるものをずらす力があるんです。
宇宙人だったら、文化はもちろん身体構造とかも違ったりするかもしれない。でも日本語はペラペラで、短歌も教えると進化して作れちゃうと。でも、日本語としては完璧だけど、何かが微妙に違うみたいな。 それによって、もう見慣れた景色が全然違ったものに見える。この歌集ってそんな不思議さがあって。魅了されましたね。
https://www.cinra.net/article/202506\_homura\_hiroshi\_ysdkr
素晴らしい評だ……。宇宙人というモチーフ、最近好き。
かわいいもの
スタダ便で上がってたりょうたさんとこうさくさんのスマホケース見つけました❕
お揃いしたい方オススメです🪄🌟https://www.sixty-percent.com/products/wing-phone-case
羽根が付いたスマホケース、かわいい。もともと、ゆるキャラとかのかわいいものがある程度は好きだけれど、そこまでではないと思っていた。ただ、二段階ぐらいかけてもっとかわいいものを身につけるときもあっていいかもという気持ちになってきているような気がする。
第一段階として、キンプリのファンになったことは大きいように思う。ペンライトは鏡や馬車などのモチーフで、否応なしにかわいさに圧倒される。でも別にそれでもいいじゃんと思えるようになってから、テーマパークのパレードではプリンセスのフロートをよく見るようになった気がする。
そして第二段階として、ここ最近クィア文化に慣れてきたことは大きいと感じる。卒業式はスーツじゃなくて綺麗な服を着てみたい。中性的な性表現を追い求める中で、徐々にそうなって言っているように感じる。
AIの創作への活用
九段理江さん(および“CraiQ”と命名された生成AI)によって書かれた挑戦的な短編小説が『影の雨』です。制作インタビューとあわせて2025年3月25日に発売された『広告』Vol.418に掲載済みで、こちらのサイトでも読むことができます。
九段理江さんから生成AIに指示を出した「プロンプト」は、誌面では一部抜粋でしか公開できていませんでした。このプロンプトには、単なる「指示書」を越えて、九段理江さんの創作にまつわる様々な想い、葛藤、情熱がぎっしりと詰まっています。上記のルールにも示している通り、「作品の一部」であると私たちは考えています。ぜひ、あわせてお楽しみください。
AIがどうこうというのもそうなのだが、九段理江さんの発する言葉ひとつひとつの凄みに圧倒される。
MVと異性愛規範
HANA『Blue Jeans』に関するいろいろ。
MV見た一発目の感想「ちゃんみな頭いいな」だった
デビューから3ヶ月3曲目で異性との絡みがガッツリ入ってるMV出すの賢い
男との絡み無理系のファンを初期の段階で振るいに落とし、耐性もつける
1年経ってからやっても遅い
こういう要素入れてくぞって初期に提示してくれるの優しい#HANA #BlueJeans
うーん……「男との絡み無理系のファン」で括るのは乱暴すぎるような。
よせばいいのにMV見て「異性愛ってあるんだった..」という宇宙猫フェイスになってしまった そうだよねいつも見ているものが偏ってるだけで多くのgirlsは男性と恋愛をするんだった… 異性愛フィクションを全然観ないので忘れてた
「HANAちゃんにはいっぱい恋愛してほしい、アーティストである前に”普通の女の子”でいてほしい」というコメント、本当にその通りなんだが、その”普通の女の子”にクィアは入っていま……⁉️⁉️⁉️
“いっぱい恋愛して酸いも甘いも経験するのが普通の女の子”というコメントがかなり傷口に塩って感じで痛いっす
異性愛規範きつい=クィア要素を入れてほしいわけではない(メンバーが演じるなら特に)。それこそメンバーのセクシュアリティはわからないんだから。ただあそこまでど直球の異性愛描写じゃなく、別の表現を模索してほしかったな〜〜が正直な所
本当にこれで昨日からHANAのコメ欄に殴られてそのまま気絶して起き上がれない(物理ではなく心情)状態になっている。恋をするかもしれないし、恋をしないセクシャルかもしれないし、何も知り得ない状態で’普通’を押し付けるのがマイノリティからしたら暴力になり得るんですよ トホホ。
これ誤解しないで欲しいのが、MVでクィアを描いていない事への文句と違うからね‼️「異性間の恋愛=幸せ」みたいなステレオタイプな考えのオタクへの文句だから‼️
HANAの新曲(ラブソング)のMV見てたら、一部メンバーと男性が恋仲にあるシーンに加えて、メンバー全員が男女ペアダンス踊る構成だったんだけど、コメント欄見たらそんな(不利な)状況でも必死に女性同士の恋愛の可能性をクィアリーディングしようと試みるたくましいオタクがおり、応援のいいねをクリック
どちらかというと、主に今われわれがTwitterで吐露してるのって、「物申し」というよりはおそらく「寂しさ」みたいなもので、ああここでも私のような存在が想定されていないんだ、という感情に近いのかなと思っています。ファンたちは別に、メンバーに同性愛者になって欲しいとは言っていない(言っている人いたらごめん) ただ、自分が大好きなアーティストのMVで、自分の存在が想定されていないように感じられたのが寂しかったのかもしれない。別にノノガのコンセプトにセクシュアリティの話は入ってませんから期待するなと言われたらそれでおしまいなんだけど、ルッキズムやジェンダーなどの視点において(あえて書きますが「運よく」)エンパワメントされてきた人はファンの中にたくさんいるだろうし、その延長線上として異性愛規範がうずまく社会からNOを突きつけられてきたファンたちが思わず願いを託してしまう気持ちも、一概に否定できない部分もある。どこに行っても異性愛ばかりが描かれるこの社会で、もしかしたらHANAは、とすがる想いがあったのかもしれません。当然その想いを叶える責任はHANAにはないのだけどもね。それもわかっている。
ティザー見たときは「私だったらそんな苦しそうな顔させないのに😭」とか思ってたのにこれ見て「私には……こんな顔……させられないんだ…………」となってしまった
一方で、中島健人『JUST KENTY☆』のMVはかなり挑戦的なところがある。ステージ上にいる中島健人と客席にいる中島健人、ということなのだが、それだけじゃない解釈の余地を感じる。
原因は自分にある。ARENA LIVE 2025 序破急
原因は自分にある。のアリーナライブに行ったのは初めて。映像で観てきたこれまでのアリーナライブは、(その手の公演に慣れているSTARTOのライブと比べると)主に以下のような点でちょっと物足りなさを感じる部分があった。
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メインステージ、センターステージ、そしてそれを繋ぐ1本の花道だけというステージレイアウトで、いくぶん簡略的。
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トロッコはあるものの、アリーナのみでスタンドには来ない。また、トロッコに装飾がない。
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メインステージの装飾は映像パネルが中心で、コンセプトに基づいたセットが組まれていない。
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原因は自分にある。の強みである、紗幕やシースルービジョンを用いた文字の演出が取り入れられていない。
今回もステージレイアウトや装飾の不足はあったものの、スタンドトロッコが存在し、また後述する通りシースルービジョンが活用される場面があり、ある程度カバーできている感じがあった。
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開演前のBGMがげんじぶ以外の楽曲で、このライブを音楽史に刻みたいという意思を感じさせられた。とりわけ坂本龍一の「aqua」は素晴らしかった。
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シースルービジョンがセンターステージ上に吊ってあり、トロッコでメンバーが移動する際にそれぞれのメンバーの顔を写す形になっていた。なんでわざわざそこにシースルービジョンを使うのだろうかと思っていたら、公判でシースルービジョンが下りてきてセンターステージを取り囲むようになり、その内側にメンバーが入るという挑戦的な演出につながってきてびっくり。アリーナ級にふさわしい派手さと、げんじぶならではの文字重視の演出がうまく融合されていたように感じた。
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「序破急」と銘打つだけあって、曲間に挟まれる映像にストーリー性があった。羽根をもったメンバーが社会に降り立つ映像、そこで軋轢が生じて羽根をもぎ取る映像、時間が巻き戻って舌打ちをする映像という3つ。桜木雅哉さんがオフィスのデスク上に降り立つシーンなんかは、『ワンルームエンジェル』を彷彿とさせた。それ以降クィアの暗喩としての天使という認識で観ていた。軋轢が生じる映像内では、小泉光咲さんがエレベーターの中でシャボン玉を吹くパートがあり、本人の天然っぽいパーソナリティと重ね合わせて笑っている観客も多かったのだが、個人的には自分が受け入れられざる客であることへの自覚がないまま少しずつ嫌われていく感じに妙なリアリティがあって、その笑いすらも怖く感じてしまった。軋轢が生じた映像が一通り流れ終わった後、センターステージ上にメンバーが倒れた状態で登場する部分は涙が出た。
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途中までは、直近のライブ『嘲笑倫理学のすゝめ』に比べるとげんじぶ特有のシニカルな雰囲気が薄れているように感じて、少し食い足りなさを感じていた。が、センターステージ上にメンバーが倒れた状態で登場してからの『Mania』『Operation Ego』『遊戯的反逆ノススメ』『Paradox Re:Write』は明確な意思を持った選曲で素晴らしかった。
- 「無理っぽいのが説明できないときも そっか出逢ったのは奇跡だからしょうがないよ おっけー!」は狂気の表れた歌詞であるが、同時に「生まれてきたのだから、もうわたしは誰にも奪えない」という歌詞でもあるという新解釈を提示するものだった。
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STARTOが世界の美しさを信じる、人間賛歌による生の肯定を旨とするなら、げんじぶは美しくない現実世界へのカウンターを通した「他でもないあなたの」生の肯定という感じがある。
今更ながら
原因は自分にある。
𝐀𝐑𝐄𝐍𝐀 𝐋𝐈𝐕𝐄 𝟐𝟎𝟐𝟓 序破急
幕間の天使映像の演出監督させていただきました。
杢代さんと共に作れてよかったです!#原因は自分にある #ゲンジブ
@genjibu_sdr
#大倉空人 / #小泉光咲 / #桜木雅哉 / #長野凌大 / #武藤潤 / #杢代和人 / #吉澤要人
今回のステージングは杢代和人を中心に、メンバーやスタッフと協議を重ねたこだわりの演出。上空から舞い降りるオープニングや、天使の翼を背負った7人が現代に降臨するストーリー性のある映像などで、一気に観測者をゲンジブの世界観に引き込んだ。杢代は「ひとつの物語を見ているようなライブになっている。みなさんが感じていただいたすべてが正解だと思うので、時がたっても『すごいものを見たんだな』と思い返せるようなライブになっていると思う」と胸を張った。
本人演出なのはすごい。以下は様々な解釈。
色んな人の考察も見たうえで、VCRの光咲さんのシャボン玉の描写と堕天してない説について おたくの超〜〜妄想解釈メモ🪽🫧 飛躍しまくってるけどそれぞれの解釈が全部正解とのことなのでおっけー♩
序破急の冒頭、チューニングから始まってコーラングレ(イングリッシュホルン)が鳴り響くの、別名が”天使の角笛”だからなの、音楽性が高すぎてビビる
最後の曲が因果応報アンチノミーで最後の審判(因果応報JUDGE)オマージュってこと
ヨハネの黙示録
災害の前触れとなる7つのラッパを吹く天使達
序破急の考察的なもの
空人:恋愛ドラマの演技をするカップルを、天使の格好の子どもと共に見守る
→愛の調和を見守る存在=ラグエル(関係性と秩序の天使)凌大:飛行機内、誰も気づかない中で子どもだけが彼の存在に気づく
→純粋な心だけが見える癒しの守護者=ラファエル(癒しと旅の天使)要人:人々に囲まれ、写真を撮られ注目の的になる
→人間の欲や虚飾の光の中に立つ存在=ウリエル(神の啓示を照らす天使)潤:クラブでちやほやされるも、すぐ人が離れて孤独に
→儚い繋がりの中で見放される魂に寄り添う=レミエル(希望と終末の天使)雅哉:パワハラ上司から資料を奪い投げ捨てる
→正義の剣をもって戦う=ミカエル(神の軍を率いる戦いの天使)光咲:野原やエレベーターでシャボン玉を吹く
→夢や希望を伝える無垢な存在=ガブリエル(神の言葉を告げる天使)和人:残された大量の食べ物を見つめ、静かにチキンを食べる
→誰も気づかない「残されたもの」に光を当てる=ラファエル or サリエル(慈悲や記録の天使)ラファエルは旅の安全を守る天使だから飛行機の中にいた凌大かな ミカエルは正義の天使だから雅哉かなと思っている ガブリエルがラッパを吹くのをシャボン玉で表してる?そういえばライブ中、シャボン玉みたいな泡飛んでなかったか?
もしかしてオリンピア的七大天使の方が近い?
後半の映像で羽をちぎってセンステに現れたの人間側を選んだってことかな だとしたら開演前の選曲、君島さんのLoverの歌詞が当てはまるかも?(天使になんかしないでの部分)
序破急、七つの大罪と照らし合わせて考察❕
空人→嫉妬
光咲→怠惰
雅哉→憤怒
凌大→例外
和人→暴食
武藤→色欲
要人→傲慢観測者→強欲
物語の共有=一緒に罪を背負う存在序
天使が人の世界に降り立つ
破
それぞれの場面で人間の欲と罪に触れる
急
羽をむしる=純潔を手放し、罪を背負って堕天空人: 他人の愛に対する羨望、嫉妬が色濃い
光咲: 何もしない、楽しく無責任に漂うだけ。羽をもがない=地上に完全には染まらない?堕天使としては未完成?
雅哉: 不当な扱いに対して怒り爆発
和人: 食べ物に強い執着がある
凌大: 唯一、誰かのために羽を渡す=他者に罪を与える役割
潤: 享楽の場所にいても満たされない、もしくは他人の目(欲望)の中で孤独を感じる→快楽の空虚さ 色欲に1番近い?
要人: 自分を撮影されるのを嫌がる=自尊心が高く、プライドを傷つけられた
げんじぶは観測者に対し、パフォーマンスを通して欲をかき立てる(欲の投げかけ)
彼らは欲望を人間に託すことで堕天し、観測者は罪を受け取る会場に羽が降ってくる演出は、「強欲」の分散
観測者は羽を拾うことで欲を手に入れる→会場全体が強欲の受け皿になることで、彼らと共に物語の一部になった。観測者も彼らと同じく罪を宿した存在になるが、誰か1人ではなく一緒に背負うという愛の形でもある
因果応報アンチノミー直前のすべての映像が巻き戻され、最初に戻ったあと楽曲が始まる演出は、急(結末)を迎えたあと、物語をもう一度序に戻す
という輪廻(ループ)を意味している?
「罪は繰り返される」「何度でも欲を抱き、堕ち、また天使は地上に降りてくる」という 終わりのない物語の始まり凌大さんは唯一、羽を誰かに与える存在
欲を断つ(自分が背負わずに他者に渡す)
罪を浄化する役割=次の「序」に繋ぐ橋渡し役因果応報アンチノミーは、物語を終わらせる曲ではなく、もう一度始める曲、新しい罪の種を蒔く曲としての役割をもつ
にしては要人さんが抜かれていたのが気になりました
要人さんフォーカスがやけに目立ったの、因果応報アンチノミー(アンチのみ)が軸であることの示唆だったのかな〜 安直すぎる?もっと何か仕掛けがあったりして
私はあの映像は様々なアンチテーゼというか風刺的な意図があったと思うのでツラツラ書いてきますね
⬇️要人:なんでもすぐに写真に投稿するSNS中心主義への風刺
凌大:子供にしか見えない天使▶︎スマホや本など手元の娯楽や休息に囚われ目の前の楽しみを見失った大人
潤:現れた瞬間は注目されるが、すぐに別の話題に移ろう世論
空人:もともと用意されていた天使(役)がいるにもかかわらず、よりそれらしい存在(空人)が現れればそちらを持て囃す移ろいやすさ
和人:見栄のために食物(大切なもの)を蔑ろにする(SNS映えのために注文した食事を大量に残す)
雅哉:目の前で誰か(雅哉)怒鳴られていても無視して仕事を続行する会社員▶︎人の痛みや困り事に無関心な大人への風刺?
誰か光咲のアンチテーゼを教えてください
序破急の配信見ながら、天使演出について考えていたんだけども七つの大罪モチーフかと思ってるけど下に行くにつれ重い罪らしいのよね、これってあの演出順だとしたらピッタリまで当てはまらない気がして誰が誰ってあるのかな…。配信組なので考察観測者やってます。
原因は自分にある。ロゴ
新しいシンボルマークが発表された。

もともとのロゴの制作ページが発掘されたので。
スターダストレコーズさまのアーティスト「原因は自分にある。」さまのロゴデザインを担当いたしました。
少し長めの日本語のロゴのデザインの制作は初めてでしたが、これまでの曲のイメージやメンバーのイメージ、グループのイメージを壊すことなく、かつ「新しい何か」も感じられるようなロゴを目指しました。日本語のグループ名の場合、他グループでは明朝体で組まれたものが多かったため、まずそれとは別の方向性にしたいと考えました。
前作のシングルではファッション性を打ち出した方向性だったこともあり、ファッション寄りのイメージで直線のみで構成した案を何案か提案したところ本ロゴが採用されました。比較的細い線で構成されている本ロゴは、小さくした時の視認性に若干の難はあるものの、下の写真のように大きく使用した時のインパクトとファッション性は十分出すことができたと思っています。
長野凌大という人
すごいブログだった。まっすぐな文章をまっすぐ書ける人に憧れる。
20代に入ってから
もう2年経ちますね。
歳をとることに慣れてきたけれど
そんな感覚に絶対に慣れたくない。毎年誕生日が近づくと、
両親に欲しいプレゼントを
用意してもらうためには
どうすればいいかを本気で考えていたことや、
早く大人になりたいとおもっていたあの感覚。歳を重ねることへの
ワクワクやドキドキを
忘れるような生き方はしたくないです。
昔のこのブログもすごい。
僕もあなたも同じ空の下に、
生きています。
生きていてください。
笹川真生
先述の原因は自分にある。のライブを通じて知った曲『サニーサイドへようこそ』があまりにも良すぎて。鬱屈として雰囲気がありながらどこか軽やかで、すごく遠くへ連れていってくれそうな、身を託したい感じがする。
1st「あたらしいからだ」はとにかく自分が変わりたかった。2nd「サニーサイドへようこそ」は亡くなってしまった友人へ手向けた。ぜんぶわがままですが、3rdは……。おまえを愛す
君となら恋をしてみても
なら恋最終回インラで「4人(龍司天日向空人)で遊ぶとしたらどこいく?」の質問に、日向が「龍司と自分のビジュアル一緒だけど天目移りしないのかな?」ってどストレート疑問ぶつけてきたの急に思い出しちゃった。
これ、日向が天のことを“龍司だから”好きになった、“人間として〜”理論じゃなくてちゃんと“普通に顔が好みの男だったら全然なびく(かもしれない)ゲイ”として認識してることがわかったのが嬉しかったのかもしれない
歌詞の中の言葉
龍司「どんな気持ちも過去すらも僕が守れるように 」
天「抱えているものなるべく僕も守れるように」
龍司「ここにいて良いんだと今以上に君が笑えるように」
という目線のイメージで書かせて頂きました。ドラマを通して、またフルで聴いてもらえたら嬉しいです✌︎
Be CLASSIC
すごいパフォーマンス。
ライブ映像を見てからあらためて自分の書いたビークラと原曲についてのnoteを読み返したが、ドームのビークラの演出はまさに、音楽家が立ち向かって飲み込む恐怖と恐れ、芸術への渇望、地獄を見ても這い上がろうとする気高さがすごく表現されている。
光が死んだ夏
絵のタッチが好みドンピシャというわけではないので読んでいなかったが、アニメ化されるということで観た。ドラマと合わせて、7月期作品はこれがベストという感じ。クィアが田舎で生きていくことの困難さの話をしている。
ある集落で暮らす少年、よしきと光。同い年の2人はずっと一緒に育ってきた。しかしある日、よしきが光だと思っていたものは別のナニカにすり替わっていたことに気づいてしまう。それでも、一緒にいたい。友人の姿をしたナニカとの、いつも通りの日々が始まる。時を同じくして、集落では様々な事件が起こっていき――。
よしきが別のナニカに入れ替わっていることが分かってもなおヒカルに執着するというのは、光の人間性だけでなく身体に対しての執着があるということで、男が男として男の身体に欲望するということの話がしっかりできているように感じられる。
基本的にこういう作品は、メジャーに向けられた瞬間に恋愛感情っぽさを脱色して、ブロマンス風味に(薄味に)させられることが多い。実際本作においても、VaundyによるOPテーマにはその方向性を感じてしまう。どちらかというとaikoの『相思相愛』のようなじめっとした感情の楽曲が適切だと思うのだが、Vaundyのそれには軽快さというか友情青春物語感が漂っており、微妙に浮いている。
しかし一方で、(少なくとも3話終了時点では)本編は恋愛感情である感じを強調する方向に動いているように感じられる。
they weren’t even this close in the manga i’m losing it omg
これは結構革命的だと感じる。もちろん、それでもなおブロマンスであるという解釈を頑なに取り続ける視聴者もいて、大衆向けの宿命だなぁという感じがする。
yoshiki, you aren’t being very subtle🤭
#TheSummerHikaruDied #ひかなつアニメ
恋愛感情が描かれる必然性はかなり大きい。
光が死んだ夏はBLである必要なくね?って意見見るけど、どちらかと言うと 陰湿で口さのない噂好きの大人ばかりいる排他的なド田舎で「人と違う」ことを周りに隠して生きているモノ達の話しって感じだから全然その必要があります…
光が死んだ夏は日本語の作品なのに日本より海外のオタクのほうがよほど作品のテーマのひとつと思しき「クィアな青年が閉鎖的な社会で生きていくこと」(単に「BL要素」とか「サービスシーン」とかじゃなくて)を読み取れてる確率高くて、日本のオタク、もっと世の中を見てくれ という気持ちになる
Tshd focusing on how suffocating and terrifying it feels to live in a small town where everybody knows everybody’s business while also being a kid whose trying to keep his own sexuality a secret is something that is so special to me
アニメ版『光が死んだ夏』1話〜3話を観る。原作をチラッと読んだ時にはあまりしっくりきていなかった、閉塞的なコミュニティで生きるクィアな青年が光という死の象徴に惹かれる危うさというモチーフがスッと腑に落ちた。
光が死んだ夏第2話視聴したけど最高にらぶちなBLだ
光くんの一族の決まりである一定の年齢までに自分の1番大切な人と結ばれて結婚しなければその人か自分がよからぬ物に連れていかれてしまう…
だけど光くんが1番大切な人はよしきくんで…
だから伝えるのを諦めたんだ光くんは…(泣)#光が死んだ夏
原作の27話ではかなり踏み込んだ話が出て来る。
https://web-ace.jp/youngaceup/contents/1000183/episode/8677/
一種のホラーブームが起きている一方で、治安が悪い気がするという感覚で外国人を排斥しようとする言説が跋扈する今まさにこのタイミングで、素朴な「怖さ」の背景にあるものを問うような作品を出す意味は大きいと感じる。
ひかなつ、よしきは同性を好きであることと内面化したホモフォビアと光とヒカルのことどうしたらいいんだという混乱でめちゃくちゃになってて、突き放した言葉でヒカルが動揺してドロドロをブワーッとやってしまってて、不快なはずなのにだんだん快感を覚えて、というすごい回だったな
単なる化け物のホラー要素ではなく確実に同性愛を恐れて隠して恥じる社会とそれに向き合う怖さの話でもあるし、何を怖いと思うのか、恐れる対象とするのかって話だと思う
漫画はまだ完結してないけど、ヒカルが最終的にどうなるのかとは別に、村やよしきが同性愛やホモフォビアに対してどういうオチをつけて終わるんだろうって気になってるし期待してる、作者はちゃんと描いてくれそうな感じなので
是枝裕和の『怪物』にも通じるような、クィアの怪物化の是非という見方から分析する方もいる。
この作品を読んで・見ていて感じるのは、思春期に目覚めた性は怪異であるというか、怪異と性の持つ不気味さ・自己変容の恐怖・何かから自分を秘匿しなければという焦りといったおどろおどろしい性質の親和性というテーマを直接的に描いた物語の系譜に、メジャー作品としてBLの存在感を提示したなと
ep3 やはりどう考えても部分的に怪異が恋情・性欲・性的接触の暗喩として描かれていて、思春期一般の困惑とすれば普遍的だが
ただ、同性愛者を怪物化するステロタイプに連なる危険性は孕んでいる
よしきから光への劣情視線もしっかり表現されていてアニメ版はなんかちゃんとしてんな 泣き演技もすごい
光が死んだ夏 #感想 短歌の叙情/叙事二面リーディング的な意味での叙情読みの暗喩するところとして
私は本作が描く怪異のシーンを思春期一般の二次性徴への困惑・煩悶と読みたいが、
こういう表現を今やることはクィアの怪異化という有害ステレオタイプを犯しているという批評を免れてはいけないと思う
ただ彼らの置かれた環境も考えればそれ自体もリアルな表現であって(怪異として眼差されるクィア)
それがオモテ面においてはホラーミステリーというエキサイティングなエンタメとして発表されることに大きな意義があると考えるいや、なんか整理ついてきたけど、同性愛者の主人公はむしろ怪異を受ける側として描かれていて、クィアの目から見た不安感を外界のおどろおどろしさとして描いている点で一線を画してるんじゃないのか?
実存主義から紐解く論考も。あんまり論旨は自分の趣味に合わないけれど……
さらにその恐怖が、単なる「怪異への恐れ」から「人間そのものへの疑念」へと深化していくところもまた、この作品の面白さのひとつだろう。よしきが抱く「目の前にいるこの存在は、本当に“光”なのか」という疑問は、そのまま「私たちは他者を何によって認識しているのか」という根源的な問いにつながるのだ。何がその人をその人たらしめるのか。実際のところ私たちは、他者という存在を、自分の思い込みによって作り上げているにすぎないのではないか。そんな人間の不安定な内面や認知の曖昧さを、本作はホラーというフィルターを通じて静かに突きつけてくる。
青と陽炎
めちゃくちゃ『青と陽炎』だと言っている人がいて、結構そうかもしれないと思った。
黒川想矢
相変わらず黒川想矢の芝居はすごい。
おっパン
映画が公開されるということでドラマを少し見た。評価が高い理由が理解できる良作。
中島:SNSやブログで例えば「ライブ楽しかったです」だけじゃなく「来られなかった方はまた必ず会いましょう」って一言を添えることを意識するようになりました。「おっパン」でいろんな人の形があっていろんな思いがあることを経験したからこそ、相手の立場を考えられるようになったんだと思います。
原田:僕は自分が若い頃と比べて、今のほうが全然生きやすいと思うようになった。メイクひとつとっても、今は男の人もするでしょ? 僕も若い時にしたかったなって思いますよ。
これも良いインタビューだった。
Sakurashimeji
制作姿勢の違い、面白い。
カウンターカルチャー
こういうのもっと聴いていきたい。
実在する人生、人の数だけリズムが鳴ったぜ、さぁ集まれ
天使の集まる島
原因は自分にある。ライブの影響で天使というモチーフへの興味が高まってきている。観たい。
映像の価値とは
『映像の原則』電子版買って久々に読んでるんだが、読書や絵画鑑賞と比較して映像作品を「受け手の時間を作品側で拘束してしまう絶対的欠点を有した娯楽」と位置づけてから、その欠点を補う為に物語で夢中にさせるんですね〜と映像に物語を附帯させるテクに入ってく流れがめっちゃうまい。
富野由悠季の著書『映像の原則』読んでみたい。
宇宙と音楽性
およそ10年越しに好きな人がシンクロした瞬間だった。
ディズニー
ついにウォルトディズニーがオーディオアニマトロニクスに。
座ったり立ち上がったりするのえぐいな……と思っていたら60年前からやってるらしい。意味が分からない。
1964年のニューヨーク万博で初登場した
ディズニー初期のアニマトロニクスであるリンカーンも是非見てください。実はこの当時から立ち上がりと座る演出ができるという本当にすごい技術があったんです。40年前にも関わらず現代でも通用するような人体表現をしていて本当に凄すぎますよね。
パレードの制作現場の話も。
ウォルト・ディズニー・イマジニアリングによるシリーズ『We Call It Imagineering』の第4回「On With the Show」が公開されました。マジック・キングダムにて2025年7月20日にスタートするパレードを始め、香港、パリでの新エンターテイメントも取り上げられています。なんと28分。
排外主義とディズニーパークの内包する価値観との関連についての指摘も。
TDSで世界中の文化体験ができる舞浜を愛するDヲタが転売問題を外国人のせいにしたりと排外主義に迎合してしまう理由もまた、「舞浜という地」への愛国心が形成されてしまうからなのだろうな、「TDSが侵略者の視点で構築されている」という名論もこれに大きく加担していると思う
染團
映画『国宝』を機に興味が沸いている歌舞伎界について。「染團」という呼び方自体を初めて知った。
染五郎は松たか子の甥、團子は香川照之(市川中車)の息子としても知られ、将来を嘱望される若手歌舞伎俳優だ。折しも、7月5日~26日に歌舞伎座で「七月大歌舞伎」が上演中で、夜の部の演目「蝶の道行」では、2人の共演が話題となっている。
公開されているビジュアルでは、恋人同士の助国と小槇に扮した染五郎と團子の姿が収められており、その凛々しい表情や可憐なたたずまいは、まさに東半コンビの世界観を再現したかのよう。
Omoinotake
Omoinotakeがアイラブユーで紅白に出ても、私にとってはチェリまほの主題歌の人だから…
Omoinotake、『産声』『心音』『Gravity』など、BL作品の主題歌が意外と多いらしい。
Podcast
今年度はポッドキャストを聴こうと思っていたのだがどうも続かない。よくこんなに聴けるな……。
聴いてる短詩系Podcast
瀬戸夏子の言わなければよかったのに
養蜂園でギャンブル
短歌・川柳耳学問
別府街区公園
無責任な抒情
こんにちはインターネット相模原アニメーション学院
短歌ラジオクーカデミック
短歌よむ夜
奥野とくどうの吹き矢
オフビートなら川柳で
日本文化ラジオ
思考の水槽ラジオ
洋画
映画館に行くにしても邦画ばかりで、洋画を見たいのだが、何も分からない。薬物依存症を描いた「ビューティフル・ボーイ」とか観てみたいような気もしたがそんなでもない気もした。
「誰にもわかってもらえない」孤独を抱きしめたくなる映画
小泉光咲
小泉光咲さんは、原因は自分にある。として料理系企画を行う際、本当に何もしないのだが、それって『くまのプーさん』でいう「何もしないことをする」なのでは?と指摘している人がいて面白かった。
光咲さんのやや特殊な言動は結構面白いものとして扱われがちなのだけれど、自分にとっては、確かにそうしてもいいよなという気持ちにさせてくれることがある。たとえば下のような例。
-
「セットリストと決めてください」と言われた時に複数パターンを考えてもいい
-
自撮り写真を加工するときに食べ物用のアプリを使ってもいい
-
多数決するときに複数回手を挙げてもいい
そういうところが宇宙人っぽいというか、外側からきて、必要もない不文律で凝り固まったこの世界を少し面白くしてくれているような気がする。「他者性によって自己が自由になる」という机上の空論めいた理想も、光咲さんを見ていれば現実のものとなるように思える。
『おかえりモネ』
久々にいろいろ調べていたら、すごい記事が出てきた。明文すぎる。
企画の原点に、宮城県のとある中学校の生徒が、避難所となった体育館で、卒業式の答辞を読み上げている映像があります。
涙を流しながら、「自然の猛威の前には、人間の力はあまりにも無力で、わたくしたちから大切なものを、容赦なく奪っていきました」と語り、「見守っていてください、必ずよき社会人になります」と決意と覚悟を宣言していました。深く感動すると共に、苦しくもなりました。
この子たちは、私たちがそうであったように、間違ったり回り道したり、くだらないことに必死になる自由があるだろうかと。あなたたちはどこで何になってもいいのだ、それをどうか忘れないでと願わずにいられませんでした。
気仙沼市立階上中学校の答辞は気仙沼市の伝承館でも観ることができる。本当にすごい言葉であるが、この言葉を言わせてしまっていることに心苦しさを感じる。
本日は未曽有の大震災の傷も癒えないさなか,私たちのために卒業式を挙行していた
だき,ありがとうございます。
ちょうど十日前の三月十二日。春を思わせる暖かな日でした。
私たちは,そのキラキラ光る日差しの中を,希望に胸を膨らませ,通い慣れたこの学
舎を,五十七名揃って巣立つはずでした。
前日の十一日。一足早く渡された思い出のたくさん詰まったアルバムを開き,十数時
間後の卒業式に思いを馳せた友もいたことでしょう。「東日本大震災」と名付けられる
天変地異が起こるとも知らずに…。
階上中学校といえば「防災教育」といわれ,内外から高く評価され,十分な訓練もし
ていた私たちでした。しかし,自然の猛威の前には,人間の力はあまりにも無力で,私
たちから大切なものを容赦なく奪っていきました。天が与えた試練というには,むごす
ぎるものでした。つらくて,悔しくてたまりません。
時計の針は十四時四十六分を指したままです。でも時は確実に流れています。生かさ
れた者として,顔を上げ,常に思いやりの心を持ち,強く,正しく,たくましく生きて
いかなければなりません。
命の重さを知るには大きすぎる代償でした。しかし,苦境にあっても,天を恨まず,
運命に耐え,助け合って生きていくことが,これからの私たちの使命です。
私たちは今,それぞれの新しい人生の一歩を踏み出します。どこにいても,何をして
いようとも,この地で,仲間と共有した時を忘れず,宝物として生きていきます。
後輩の皆さん,階上中学校で過ごす「あたりまえ」に思える日々や友達が,いかに貴
重なものかを考え,いとおしんで過ごしてください。先生方,親身のご指導,ありがと
うございました。先生方が,いかに私たちを思ってくださっていたか,今になってよく
分かります。地域の皆さん,これまで様々なご支援をいただき,ありがとうございまし
た。これからもよろしくお願いいたします。
お父さん,お母さん,家族の皆さん,これから私たちが歩んでいく姿を見守っていて
ください。必ず,よき社会人になります。
私は,この階上中学校の生徒でいられたことを誇りに思います。
最後に,本当に,本当に,ありがとうございました。平成二十三年三月二十二日
そのうえで、チーフ演出の方は現代を生きる若者に言及する。
しかし翻って、この物語はなにも気仙沼の話にはとどまらないと思っています。
いま災害級の渦中にあり、学生たちは今しか体験することのできない特別な時間をことごとく奪われました。私の娘も大学に入りましたが、入学式もサークル活動も、合宿も、何度も何度も企画するも潰され、ついに何もできないまま1年半が経過しました。こんなに若者が、若者としていられないのは、戦時中以来ではないでしょうか。
それだけの災厄が降りかかる中、なぜか今の若い人たちは、私には穏やかに見えます。
もちろん、悔しくてたまらない怒りをぶつけあぐねている方もたくさんいると思います。しかし、自分達世代やさらに上の世代とは違う、穏やかで優しい、どこか泰然とした心を若い方々に感じます。その正体は何なのだろうかと考えてきました。
もしかするとこの世代の人々は、幼いころに東日本大震災を知り、以降災害に見舞われる気候変動の時代を当たり前に生きています。世界は理不尽であり、未来が唐突に激変することを知っています。
デジタルネイティブとして情報を即座に取り入れ、世界の動きにも敏感ゆえ、このままでは世界は持続できない危うさについて考えています。人口減少のために、将来は自分たちの肩にたくさんの上の世代の生活がかかっていることも理解しています。
その上で、社会の役に立とうとしてくれているこの優しい世代の皆さんに、伝わればいいなと思っています。あなた達のことを見ているよと。決して勝手に「希望」と祭り上げることをせず、まずは私達世代が頑張るよと。だからあなた達はまず、自分の思う方へ、自由にやってみてほしいと。間違えたら戻ればいい。
「モネ」に出てくる大人たちのせりふは、実は若い皆さんに向けての、かなり直接的なメッセージでもあります。彼らは常に正しい人間ではないし、弱い部分や欠点もある。
でも子どもたちの未来のために、大人としてのきょうじを守ろうと「じたばたと」ふんばっている。そんな生き方をまずは見てほしいです。モネで描く大人世代の行動や思いは、作家の安達さんを始めとした、私たちの願いがかなり入っています。
生涯胸に刻まれるレベルの文章だと思う。
藤島メリーインタビュー本発売
読んだ。いろいろ気になる点があったので列挙したい。
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全体的に正直に語られている印象を受けた。
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性加害問題に関する言及部分では、聞き手があえて逸脱的なことを質問して、それにジュリー氏が「正しい」答え方をするという手法が散見され、少し気になった。いくらクローズドな書籍という形態とはいえ、結果的に犬笛を吹くことになるのではないかというリスクからして、それを質問すべきではないだろうという質問も投げかけられているように思われた。とはいえ、ジュリー氏が被害を訴える方への誹謗中傷を避けるよう強調した点は評価できる。
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タレントに関しては、迂闊に発言しすぎているような印象を受ける部分があった。たとえば長瀬智也のプライベートに関する事情や、平野紫耀ら現Number_iメンバーの脱退以降の伝え方など、その人の印象にかかわる事柄を喋りすぎているように感じた。それをここで文字にしたらどういう影響があるのか、それによりファン同士がどう対立するのかなどが想定できておらず、自分のもつ影響力を過小評価しすぎているような印象を受けた。その点経営者として不適格な部分があるが、それは本人の問題というより、特殊な生育環境が影響していることが文章の中から汲み取ることができ、責められるべきではないように感じた。
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飯島三智と対立関係にはなかったと明言されており、むしろジャニー・メリーの影響を大きく受けてマネジメントを想うようにできなかった部分が共通するという方向性で結論づけられていたのは良かった点だと感じた。飯島氏の視点からの本が出版されれば、ジュリー氏が事務所と距離を置いていた期間の空白も埋めることができ、よりジャニーズ事務所の何が問題であったのかを明確にできるように思う。
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旧ジャニーズ事務所の社務の異常性が明確に叙述されていた点は意義深いと感じた。相続について何ら想定しておらず、メリーよりジャニーの方がむしろジュリーへの継承を早期から想定していたという点は意外であった。ただ、2018年9月に滝沢秀明の引退発表と同時にリリースされた社長メッセージでは、「ジャニーズ事務所が変わらず皆様により良いエンターテイメントをお届け出来るよう経営面では藤島ジュリーが日々精進しておりますので、私は一途にプロデユーサーとしての位置をKeepし、数多くの創作活動を続けることが出来ております」と明確にジュリー氏の存在を明記しており、矛盾はないと感じられた。
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本人はKing & Princeに対して冷たく当たったという文春報道を否定しているが、人に対する興味が基本的に薄弱であり、理解できない言動があった時にそれでもなお探ろうとはしない姿勢があるように本文からは感じられ、冷たい対応だったという点はあながち間違いではないように感じられた。
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近藤真彦が退所後メリーと会わなかったというのは衝撃的であった。
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東山紀之の社長就任がジュリー氏の提案であるという事実が明かされた。これについては大きく批判されるべきであると感じる。いくらタレントやスタッフをまとめ上げなければいけないという状況であれ、なぜ裏方の上層部ではなくタレントに責任を委ねるという判断に至るのか、それと、メリー喜多川から受け継いだという「ファンファースト」という考えは矛盾しないのか、問いただす必要がある。タレントの善性に甘えており、非常に無責任であるように思う。
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飯島三智やKing & Princeのことに言及するなど、かなり踏み込んでいたがゆえに、むしろ書かれていないことに着目する必要があると感じた。
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滝沢氏や関連する多くのスタッフの退社について詳しく触れられていなかったのが奇妙であった。突然内容証明が送られて退社の意向が示されたという事実だけが提示され、それまでにどんなことがあったのか、ジュリー氏なりに想像する部分すらないのは不自然だった。ジャニー喜多川の死後、メリー喜多川は入院生活ばかりになっており社務にはあまり関わらなかったというのが事実であり、またジュニアの多くのスタッフと滝沢が(ともに退社するほど)うまくやっていたのであれば、滝沢秀明が業務続行上の障害を感じたその原因として考えられるのは、ジュリー氏体制の問題か、BBCによる性加害報道の取材の開始を何らかの筋から聞いたかの2択しかありえないように思われる。
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また、Love-tuneの退所について触れられていない点も不自然と感じた。YouTubeを推進しようとしたジュリー氏の意向に逆らった影響が大きいという文春報道が当時あったにもかかわらず、それについて一切言及がない。King & Princeの文春報道についてもこの「冷血」文脈を受けたものと考えられ、King & Princeの件だけを表面的に否定するのみで終わっていたのは適切ではないと感じた。本文にはNHKや週刊文春に対する憤りが長年続いている様子や、タレント全体の面倒を見ようという意識の薄弱さが強く表れており、ジュリー氏の憤りが一部のタレントに向いてもおかしくないように感じられ、文春報道がそこまで的外れというわけでもないように思われた。
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加えて、近藤真彦や東山紀之が一時期事務所の取締役に就いていた件についても言及が特になかった。
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その他、ジュリー氏が知りうる情報にもかかわらず触れられていない点として、SMAP解散後にタレントの退所が相次ぐようになったことが挙げられる。大きな出来事で言えば、同氏が深く関わったTOKIOの脱退・会社化と、V6の解散の2点の内幕に対する言及もない。
ディズニー100周年の記念神動画でミッキーがウォルトの写真を見つめて「行かなくちゃ、ショーを続けるね」っていうんだけど、ここがゆぴとジジイと重なって、美しくて、羨ましくて、辛い
全部無くなっちゃった
これは確かにそれを重ねずにはいられなかった。彼らにとってはまぎれもなく、ただの天才プロデューサーだったのだろうと思うので。
King & Prince LIVE TOUR 24-25 ~Re:ERA~ in DOME
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ちょうど前日がジャニー喜多川の命日ということもあり、お別れの会の風景を思い出しながら着席した。東京ドーム2回スタンド33列、最後列である。
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終始結婚式のような多幸感に包まれていた。特徴的だったのは、2人が積極的に場を支配しようとしないことであった。アーティストはつい空気を作ろうとしがちで、それがうまくできるかできないかで熟練度が見えるわけだが、そもそもその価値観にのっていない感じがあった。これが5人体制との最大の違いだと感じた。ダンサーなり、ファンなりと合わせて場を埋めよう、幸せな空気で満たそうという方向性だった。
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ミッキー(ライブキャラクター)がサプライズで登場するという出来事もあった。正直このレベルの仕掛けができるのはやはりSTARTOならではという感じで、ファンみーてぃぐっぽさを微塵も感じさせず、とことんパブリックに開かれている雰囲気は独特のものだった。ミッキーをセンターに左右に永瀬・高橋で固めるという構図はまさにMr.KINGそのもので、ジャニー喜多川が願ったグループ像を感じずにはいられなかった。
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(おそらく照明で?)色のついたスモークや、エレクトリカルパレードのような洗練された電飾付きのトロッコ、気球を用いた演出など、STARTOにしかできないクオリティの演出を目の当たりにして、万博かテーマパークのナイトショー並みに圧倒された。おそらくヤング・コミュニケーションは業界内でも最も東京ドームのコンサート制作経験が豊富で、本当に見せ方が上手いと感じた。どの設備にも、きちんとロゴや、アルバムに登場するキャラクターの装飾があり、莫大な予算が投じられているように思われた。
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後半にかけて思いのほか5人自体の楽曲の披露が多く、近年のファンを置いていかないか心配になるほどであった。5人自体に一度経験したドームへの復帰というストーリー性を考えても、古参ファンを多少意識したのだろうと思われた。
週刊誌報道
King & Princeの永瀬廉(26才)と浜辺美波(24才)がお忍びデートをしていたことが『女性セブン』の取材でわかった。
7月1日に行われた『24時間テレビ48』(日本テレビ系・8月30〜31日放送)の制作発表記者会見には、パーソナリティーとして出演するKing & Princeの永瀬廉と高橋海人(26才)、氷川きよし(47才)、上田晋也(55才)、そして浜辺らが揃った。この日、永瀬と浜辺の目線が交わることは一度もなかったが、ふたりはこの機会の前から、人知れず深い仲にあったようだ。
いつか週刊誌報道ができたときに自分はどうなるのだろうかというのが不安だった。結局自分が彼に向けていた感情の色が何であったかが明確になってしまうように思われたからである。今回はタイミングも最悪で、前厄感の強い初夏になっている。
グッズも売却して番組も追わなくなって、離れかかっていたところでたまたまライブに行く機会があり、3年ぶりに生の姿を見て、もう一回熱量をもって見てみるかと思った矢先のことであった。よりによってその前月に大きい失恋をやっている人間に追い打ちをかけるタイミングというのも勘弁してほしい。ハッピープライド(撞着話法)すぎる。
そういうのとは縁のない人であったから、2ショットを撮られる迂闊さを含め、動揺はあった。でもどちらかというと、この話題に触れられたときに、「同性ファンなんで別に何も思ってないですよ」というポーズを取らなければいけないということのしんどさの方に意識が傾いていた。ただでさえ色々ややこしいのに、何重にも演じたくはない。
でももっと怖かったのは、もう彼が26歳であるという事実である。17歳であった彼が26歳ということは自分の年齢もそれだけ上がっているということで、それまで自分は何をしてきたのかということに思い至ると、唖然としてしまう。
そんなこんなで、それほど引きずることはなかった。むしろ意外なことに、ショック療法よろしく、諸々の心配事への意識ごと吹っ飛ばしてくれたようだった。翌日には台風一過の快晴のような気分すら感じた。
なんかさ、熱愛出ると「うわぁ、やっぱ男だわぁ…」って思っちゃうから嫌なんだよね。
まあこれに近いっちゃ近いのかもしれないが、「やっぱりシスヘテロなんや」「ふつうの人間なんだ」という気持ちになったことは事実である。言動からして明らかにそうではあるのだが、確かめようがなかったわけで。
それで自分は、アイドルのどこか地球人離れしている存在感が好きなんだろうなということに気づかされた。その異邦人感に自らのクィア性を重ね合わせている部分があるような気がする。具体的に言えば、(理由は大きく違うが)高校・大学で異性のパートナーのいる生活を送るということが困難であるという、その感じが。
ちょっと話が逸れるが、それで最近はピンク・レディーの『UFO』が好きだ。「地球の男にあきたところよ」ってクィアで、良い歌詞だと思う。
今、悲しみと怒り期きてるから、れんれんもうちょっと待ってて
Twitter上での反応を見ていると、「(2ショット写真の)モザイクがかかっているところに関係者がいて、これは仕事の打ち合わせだ」とか「プライベートでサンダルじゃないのはあり得ない」とか、やたら否認したがるツイートが流れてきて、正直そこで言ってることの論理性の欠如にはびっくりしてしまったのだが、受容の初期段階って本当に起こるんだなという気持ちになった。






















