白鳥之歌

日記(2025-06-29)

SS! Creation

短歌

 今週はちょっと大変だったので短歌を結構作った。

  • 観測を避ければ半分残るのに君を見ずにはいられなかった

  • 届かない恋をもどした肺の中 真空よりは眩くあれ

  • 空しさの後に見たのは先生に褒められた夢 Life goes on

  • 目の前で演じたからもう大女優 幸せならいい気すらつくれる

  • 人道の観点により流さずに取り残すらしい/ハッピープライド

SS! Reflection

おしまいとか

 あまり詳しく書く気はないのだが、3年ぐらい前から好きだった人間がおり、1年半前に振られ、そしてそいつにパートナーができたらしいという話を聞いた。忘れもしない、6月23日。その話をするとき、そいつは僕に顔を向けなかった。その瞬間が来ることをずっと覚悟していて、その時うまく喜びを演じられるかがずっと不安だった。人の幸せを願えない人間なんて人間ではないと思うから。とはいえ、もう少し先だと思っていたから結構動揺してしまった。でも、まあうまく演じられたと思う。当然誰にも褒められるようなものではないが、人生史上に残る名演技だったと思う。オスカーのひとつぐらいよこしてほしい。6月23日は原因は自分にある。小泉光咲さんの個人ファンクラブの更新日だった。このタイミングで更新日が来るのはなんというか、意味を感じてしまう。次の特典会でこの話をしようかなと思う。

 感情を押し殺し終わった帰り道、今月がプライド月間であることを思い出した。ハッピープライドとつぶやいて、ちょっと涙が出そうになった。こんな惨めさにプライドも何もあったものではない。そういう場面に合う曲を結構聞きながら電車には乗った。『黄色』『umbrella』『幾億光年』とか、やけに次に流す曲が浮かんだ。そこまで演出してどうするんだとは思う。雨が降っていた。すんなり帰りたくなくて、近所の川を歩いた。死んじゃおうとはあまり思わなかった。それでも死ねない、人生は続いていくんだなぁという呪詛のようなものを吐きながら、暗い都市河川を見下ろしてひたすら歩いていた。家に戻ってさっさと薬と酒を飲んで、部屋を真っ暗にして、『Pretender』を聴いて、文を書き殴った。汚すぎて全然読めないが、こんな感じだった。

 そいつとの関係はもうおしまいになりつつある。LINEはだいぶ前から帰ってこなくなった。既読はつくからブロックはされていないし、そういうのも含めて決してそいつのことを嫌いにはなれない。なってやらない。むしろ、申し訳なさがずっとある。ただでさえ好意なんて暴力なのに、それだけでない暴力を加えてきたように思う。そいつの幸せを本当には願えない醜さが自分の中にはあるから、もう離れたほうが良いのかもしれない。でも、然るべき形で恩も返せていないのにと執着してしまう。もうシスヘテロの人間を好きになることはやめていこうと思っている。誰も幸せにならないからだ。それをそいつは教えてくれたように思う。

 寝たら、意外とそいつに関する夢は見なかった。でも何度も目が覚めて、その度アイドルの配信アーカイブの再生ボタンを押しなおして、また寝た。なぜか小1の時の先生に何かを褒められる夢を見て、この数年間が無駄だったと感じても、お前のすべてが空っぽになったわけではないといわれたような気がした。翌日の授業は休みたくて仕方なかったが、出席回数が足りなくなるのでやむを得ず出た。でもこれがよかった。かなしい和歌を読んだり、自分の俳句が評価されたり、いつもだったらさほど気に留めない授業にのめり込んだ。国語国文学科に入ったのはこの瞬間のためなのかもしれないとすら思えた。帰り際『いやはや熱海くん』第4巻を買うことにした。よく頑張ったのだから。

 木曜にはカウンセリングに行った。このタイミングで予約を入れている自分がすごく賢く思えた。夢で何度も昔のことが繰り返されるのは、過去のことについて修正して整理する作業という説があるという話を教えてもらった。そろそろセクシャリティのことを言っても良いし、本格的に認知を正すための行動をとるべきと思うようになった。そいつが教えてくれたことを決して無駄にしないように。空き時間に図書館で東映のエントリーシートを書きながら、『仮面ライダーガッチャード』のVシネマのことを思い出していた。尊敬と恋慕が交じったような相手の結婚が受け入れられず未来に進むことを拒絶したことが原因でいろいろおかしなことが起きるという話で、最後には結婚式で「おめでとう」と言って終わるという話だった。もう一度調べてみたら、それは「卒業」という映画のオマージュらしかった。もう卒業しないといけないのだと思いつつ、それを強く否定する自分もいた。

 その夜、たぶんそいつの夢を見た。結婚するとかしないとかで、嫌だ!と思って飛び起きた。その嫌悪感というのがあまりにも激烈なもので、叫んでいたのではないかというほどで、絶対に現実でも受け入れてやるもんかと思ってしまったが、これも整理の一環なのかもしれない。そんな中で、よく分からない強い気持ちがあったものパートナーがいることが判明して泣く泣く諦めて「過去のひと」ボックスに入れた人がまあいることを思い出して、そこに入れないとなぁと思ったりした。玉石混交とまではいかないが、現状そいつだけがそのボックスの中で異常な輝きを見せてしまっている。そう考えると、そいつがさっさとパートナー持っていればこんな「温める」ことにはなっていないんだよと思ったが、他人のそういう事情に言及するのは最悪なので言わないでおきたい。というか、いちいちこういう風に面白い感じで書こうとしている感じが嫌かもしれない。本当に真面目な気持ちなのだから。

 土曜日、映画『リライト』を観に行った。なんというか男が男を好きになることを面白シーンとして観客に提示する部分があり、はっきりいってプライドデーに見るべきものではなかったのだけれど、まあそいつといた時間が消えるわけじゃない、あいつと僕のエピソードがそいつにとってどういう解釈をされているかと、自分にとって大事であり続けることには何の関係もないのだから別にいいじゃないか、それにそいつ以外の友人を手放さないようにしないとな……とか考えたりしていた。帰り道、誰とも共有しえない闇ができたときに、それを作品にできなかった人が犯罪を起こすのかもしれないなと考えたりしていた。認めたくはないが、犯罪も一つの作品ではあるのだと思う。

 気が付けばあれから5日が経った。無理をして外に出る。家ではエンタメに触れる以外何もやらない。それを繰り返している。急性期はあまりにもそいつに関するコンテンツが見れなさすぎて、「夜」というワードが出て来るオモコロの動画すら数日見れなかった。自分にとって、夜といえばサカナクション、サカナクションといえばそいつだから。書くと馬鹿馬鹿しく見えるが、どうしようもなく切実なのである。

 なんというか、自分は「相手に(自分とは違う性の)好きな人ができた」ことをもって失恋とする節があり、たとえ振られたり、セクシャリティがかみ合わないことが判明したとて、それをちゃんと失恋と認識しない節があるような気がする。タイミングのずれがある。それってシュレーディンガーの猫というか、結局実際に特定の人が好きになるまで本当にシスヘテロかは分からないですよねみたいな認識があるんじゃないかしらと思う。観測しなきゃわからないというか、反例主義というか。

 宇多田ヒカル『キレイな人 (Find Love)』『PINK BLOOD』をめっちゃ聴いた。「終わって欲しいところで人生終わらない」し「自分の幸せ自分以外の誰にも委ねない」生き方をしていきたい。漫画でいえば『ひとりでしにたい』と『いやはや熱海くん』もめちゃくちゃ読んだ。普通に自分の性格に近接する話も出て来るのであんまり楽には読めないのだが、それぐらいで良かった。自慢できることがあるのだとすれば、それは必要な時に必要な作品に出会える才能な気がする。これはぼくのためにこの世に生を受けた話だと本気で思えるものに出会える機会って、どん底の時にしかないのだと思う。もっと踏み込んでいえば、それだから僕は人と好きを共有したくないのかもしれない。逃げ場だからというのはもちろんあるけれど、「自分だけのために生まれてきた作品ではないということを突きつけられたくない(異なる人生を経てきた他の人にも同様に感動が訪れたことを知ることで、自分の感動のかけがえのなさ/きらめきが崩れるように思えてしまう)から」という要素も多分にあることに気づかされた。

『いやはや熱海くん』第1巻

 「気が付けば誰かを好きになりそしてまた気持ちは移りくりかえし……ただそのいずれもが真面目で切実でそして自分だけのものでした」噛みしめたい言葉すぎる。

『いやはや熱海くん』第1巻

「生活はそのまま続くのだと知りました」、これです。

『いやはや熱海くん』第1巻

決して悪く言えない感じが良い。

『いやはや熱海くん』第2巻

ちゃんと病みはする感じとか。