映画『怪物』を巡って——「普遍的な物語」を欲するみんなたちへ
最後に。親愛なるクィアのみんなたちへ。
“クィアは存在しているだけで、クィアを追い込む構造への抵抗になっている。あなたが今居る場所が現場で、あなたが今息をしていることが、腐った構造への強固な抵抗。あなたの実存はすべてのクィアの力になり、生存への連帯になる。あなたは無学でも、無力でもない”
傷つけられていい存在でも、否定されていい存在でもない。あなたは守られる権利がある。
わたしは、あなたに、生きていて欲しい。
最後に。親愛なるクィアのみんなたちへ。
“クィアは存在しているだけで、クィアを追い込む構造への抵抗になっている。あなたが今居る場所が現場で、あなたが今息をしていることが、腐った構造への強固な抵抗。あなたの実存はすべてのクィアの力になり、生存への連帯になる。あなたは無学でも、無力でもない”
傷つけられていい存在でも、否定されていい存在でもない。あなたは守られる権利がある。
わたしは、あなたに、生きていて欲しい。
本院議員、安倍晋三元内閣総理大臣は、去る七月八日、参院選候補者の応援に訪れた奈良県内で、演説中に背後から銃撃されました。搬送先の病院で全力の救命措置が施され、日本中の回復を願う痛切な祈りもむなしく、あなたは不帰の客となられました。
享年六十七歳。余りにも突然の悲劇でした。政治家としてやり残した仕事。次の世代へと伝えたかった思い。そして、いつか引退後に昭恵夫人とともに過ごすはずであった穏やかな日々。全ては一瞬にして奪われました。政治家の握るマイクは、単なる言葉を通す道具ではありません。人々の暮らしや命が懸かっています。マイクを握り日本の未来について前を向いて訴えているときに、後ろから襲われた無念さはいかばかりであったか。改めて、この暴挙に対して激しい憤りを禁じ得ません。
私は、生前のあなたと政治的な立場を同じくするものではありませんでした。しかしながら、私は、前任者として、あなたに内閣総理大臣のバトンを渡した当人であります。我が国の憲政史には、百一代六十四名の内閣総理大臣が名を連ねます。先人たちが味わってきた重圧と孤独を我が身に体したことのある一人として、あなたの非業の死を悼み、哀悼の誠を捧げたい。 そうした一念の下に、ここに、皆様の御賛同を得て、議員一同を代表し、謹んで追悼の言葉を申し述べます。
安倍晋三さん。あなたは、昭和二十九年九月、後に外務大臣などを歴任された安倍晋太郎氏、洋子様御夫妻の次男として東京都に生まれました。父方の祖父は衆議院議員、母方の祖父と大叔父は後の内閣総理大臣という政治家一族です。幼い頃から身近に政治があるという環境の下、公のために身を尽くす覚悟と気概を学んでこられたに違いありません。成蹊大学法学部政治学科を卒業され、一旦は神戸製鋼所に勤務した後、外務大臣に就任していた父君の秘書官を務めながら、政治への志を確かなものとされていきました。そして、父、晋太郎氏の急逝後、平成五年、当時の山口一区から衆議院選挙に出馬し、見事に初陣を飾られました。三十八歳の青年政治家の誕生であります。私も同期当選です。初登院の日、国会議事堂の正面玄関には、あなたの周りを取り囲む、ひときわ大きな人垣ができていたのを鮮明に覚えています。そこには、フラッシュの閃光を浴びながらインタビューに答えるあなたの姿がありました。私には、その輝きがただまぶしく見えるばかりでした。 その後のあなたが政治家としての階段を瞬く間に駆け上がっていったのは、周知のごとくであります。
内閣官房副長官として北朝鮮による拉致問題の解決に向けて力を尽くされ、自由民主党幹事長、内閣官房長官といった要職を若くして歴任した後、あなたは、平成十八年九月、第九十代の内閣総理大臣に就任されました。戦後生まれで初。齢五十二、最年少でした。 大きな期待を受けて船出した第一次安倍政権でしたが、翌年九月、あなたは、激務が続く中で持病を悪化させ、一年余りで退陣を余儀なくされました。順風満帆の政治家人生を歩んでいたあなたにとっては、初めての大きな挫折でした。もう二度と政治的に立ち上がれないのではないかと思い詰めた日々が続いたことでしょう。しかし、あなたは、そこで心折れ、諦めてしまうことはありませんでした。最愛の昭恵夫人に支えられて体調の回復に努め、思いを寄せる雨天の友たちや地元の皆様の温かい御支援にも助けられながら、反省点を日々ノートに書き留め、捲土重来を期します。挫折から学ぶ力とどん底からはい上がっていく執念で、あなたは、人間として、政治家として、より大きく成長を遂げていくのであります。かつて、再チャレンジという言葉で、たとえ失敗しても何度でもやり直せる社会を提唱したあなたは、その言葉を自ら実践してみせました。ここにあなたの政治家としての真骨頂があったのではないでしょうか。あなたは、諦めない、失敗を恐れないということを説得力を持って語れる政治家でした。若い人たちに伝えたいことがいっぱいあったはずです。その機会が奪われたことは誠に残念でなりません。
五年の雌伏を経て、平成二十四年、再び自民党総裁に選ばれたあなたは、当時内閣総理大臣の職にあった私と、以降、国会で対峙することとなります。最も鮮烈な印象を残すのは、平成二十四年十一月十四日の党首討論でした。私は、議員定数と議員歳費の削減を条件に、衆議院の解散期日を明言しました。あなたの少し驚いたような表情。その後の丁々発止。それら一瞬一瞬を決して忘れることができません。それらは、与党と野党第一党の党首同士が、互いの持てるもの全てを懸けた、火花散らす真剣勝負であったからです。安倍さん。あなたは、いつのときも手ごわい論敵でした。いや、私にとっては、仇のような政敵でした。攻守を替えて、第九十六代内閣総理大臣に返り咲いたあなたとの主戦場は、本会議場や予算委員会の第一委員室でした。少しでも隙を見せれば、容赦なく切りつけられる。張り詰めた緊張感。激しくぶつかり合う言葉と言葉。それは、一対一の果たし合いの場でした。激論を交わした場面の数々が、ただ懐かしく思い起こされます。
残念ながら、再戦を挑むべき相手は、もうこの議場には現れません。安倍さん。あなたは議場では闘う政治家でしたが、国会を離れ、一たび兜を脱ぐと、心優しい気遣いの人でもありました。それは、忘れもしない、平成二十四年十二月二十六日のことです。解散・総選挙に敗れ、敗軍の将となった私は、皇居で、あなたの親任式に前総理として立ち会いました。同じ党内での引継ぎであれば談笑が絶えないであろう控室は、勝者と敗者の二人だけが同室となれば、しいんと静まり返って、気まずい沈黙だけが支配します。その重苦しい雰囲気を最初に変えようとしたのは、安倍さんの方でした。あなたは、私のすぐ隣に歩み寄り、「お疲れさまでした」と明るい声で話しかけてこられたのです。 「野田さんは安定感がありましたよ」 「あのねじれ国会でよく頑張り抜きましたね」 「自分は五年で返り咲きました。あなたにも、いずれ、そういう日がやってきますよ」
温かい言葉を次々と口にしながら、総選挙の敗北に打ちのめされたままの私をひたすらに慰め、励まそうとしてくれるのです。その場は、あたかも、傷ついた人を癒やすカウンセリングルームのようでした。残念ながら、そのときの私には、あなたの優しさを素直に受け止める心の余裕はありませんでした。でも、今なら分かる気がします、安倍さんのあのときの優しさがどこから注ぎ込まれてきたのかを。第一次政権の終わりに、失意の中であなたは、入院先の慶応病院から、傷ついた心と体にまさにむち打って、福田康夫新総理の親任式に駆けつけました。僅か一年で辞任を余儀なくされたことは、誇り高い政治家にとって耐え難い屈辱であったはずです。あなたもまた、絶望に沈む心で、控室での苦しい待ち時間を過ごした経験があったのですね。あなたの再チャレンジの力強さとそれを包む優しさは、思うに任せぬ人生の悲哀を味わい、どん底の惨めさを知り尽くせばこそであったのだと思うのです。
安倍さん。あなたには謝らなければならないことがあります。それは、平成二十四年暮れの選挙戦、私が大阪の寝屋川で遊説をしていた際の出来事です。 「総理大臣たるには胆力が必要だ。途中でおなかが痛くなっては駄目だ」 私は、あろうことか、高揚した気持ちの勢いに任せるがまま、聴衆の前でそんな言葉を口走ってしまいました。他人の身体的な特徴や病を抱えている苦しさをやゆすることは許されません。語るも恥ずかしい、大失言です。謝罪の機会を持てぬまま時が過ぎていったのは、永遠の後悔です。今、改めて、天上のあなたに、深く深くおわびを申し上げます。
私からバトンを引き継いだあなたは、七年八か月余り、内閣総理大臣の職責を果たし続けました。あなたの仕事がどれだけの激務であったか、私にはよく分かります。分刻みのスケジュール。海外出張の高速移動と時差で疲労は蓄積。その毎日は、政治責任を伴う果てなき決断の連続です。容赦ない批判の言葉の刃も投げつけられます。在任中、真の意味で心休まる時などなかったはずです。第一次政権から数え、通算在職日数三千百八十八日。延べ百九十六の国や地域を訪れ、こなした首脳会談は千百八十七回。最高責任者としての重圧と孤独に耐えながら、日本一のハードワークを誰よりも長く続けたあなたに、ただただ心からの敬意を表します。首脳外交の主役として特筆すべきは、あなたが全くタイプの異なる二人の米国大統領と親密な関係を取り結んだことです。理知的なバラク・オバマ大統領を巧みに説得して広島にいざない、被爆者との対話を実現に導く。片や、強烈な個性を放つドナルド・トランプ大統領の懐に飛び込んで、ファーストネームで呼び合う関係を築いてしまう。あなたに日米同盟こそ日本外交の基軸であるという確信がなければ、こうした信頼関係は生まれなかったでしょう。ただ、それだけではなかった。あなたには人と人との距離感を縮める天性の才があったことは間違いありません。
安倍さん。あなたが後任の内閣総理大臣となってから、一度だけ、総理公邸の一室でひそかにお会いしたことがありましたね。平成二十九年一月二十日、通常国会が召集され政府四演説が行われた夜でした。前年に天皇陛下の象徴としてのお務めについてお言葉が発せられ、あなたは野党との距離感を推し量ろうとされていたのでしょう。二人きりで、陛下の生前退位に向けた環境整備について、一時間余り語らいました。お互いの立場は大きく異なりましたが、腹を割ったざっくばらんな議論は次第に真剣な熱を帯びました。そして、政争の具にしてはならない、国論を二分することのないよう立法府の総意をつくるべきだという点で意見が一致したのです。国論が大きく分かれる重要課題は、政府だけで決め切るのではなく、国会で各党が関与した形で協議を進める。それは、皇室典範特例法へと大きく流れが変わる潮目でした。私が目の前で対峙した安倍晋三という政治家は、確固たる主義主張を持ちながらも、合意して前に進めていくためであれば、大きな構えで物事を捉え、のみ込むべきことはのみ込む、冷静沈着なリアリストとして柔軟な一面を併せ持っておられました。あなたとなら、国を背負った経験を持つ者同士、天下国家のありようを腹蔵なく論じ合っていけるのではないか。立場の違いを乗り越え、どこかに一致点を見出せるのではないか。以来、私は、そうした期待をずっと胸に秘めてきました。
憲政の神様、尾崎咢堂は、当選同期で長年の盟友であった犬養木堂を五・一五事件の凶弾で喪いました。失意の中で、自らを鼓舞するかのような天啓を受け、かの名言を残しました。 人生の本舞台は常に将来に向けて在り 安倍さん。あなたの政治人生の本舞台は、まだまだこれから先の将来にあったはずではなかったのですか。再びこの議場で、あなたと、言葉と言葉、魂と魂をぶつけ合い、火花散るような真剣勝負を戦いたかった。勝ちっ放しはないでしょう、安倍さん。耐え難き寂寞の念だけが胸を締めつけます。この寂しさは決して私だけのものではないはずです。どんなに政治的な立場や考えが違っていても、この時代を生きた日本人の心の中に、あなたの在りし日の存在感は、今大きな空隙となってとどまり続けています。
その上で、申し上げたい。長く国家のかじ取りに力を尽くしたあなたは、歴史の法廷に永遠に立ち続けなければならない運命です。安倍晋三とは一体何者であったのか。あなたがこの国に残したものは何だったのか。そうした問いだけが、いまだ宙ぶらりんの状態のまま、日本中をこだましています。その答えは、長い時間をかけて、遠い未来の歴史の審判に委ねるしかないのかもしれません。そうであったとしても、私は、あなたのことを問い続けたい。国の宰相としてあなたが残した事績をたどり、あなたが放った強烈な光も、その先に伸びた影も、この議場に集う同僚議員たちとともに、言葉の限りを尽くして問い続けたい。問い続けなければならないのです。なぜなら、あなたの命を理不尽に奪った暴力の狂気に打ちかつ力は、言葉にのみ宿るからです。暴力やテロに民主主義が屈することは絶対にあってはなりません。あなたの無念に思いを致せばこそ、私たちは、言論の力を頼りに、不完全かもしれない民主主義を少しでもよりよきものへと鍛え続けていくしかないのです。
最後に、議員各位に訴えます。政治家の握るマイクには、人々の暮らしや命が懸かっています。暴力にひるまず、臆さず、街頭に立つ勇気を持ち続けようではありませんか。民主主義の基である自由な言論を守り抜いていこうではありませんか。真摯な言葉で建設的な議論を尽くし、民主主義をより健全で強靱なものへと育て上げていこうではありませんか。こうした誓いこそが、マイクを握りながら不意の凶弾に斃れた故人へ、私たち国会議員が捧げられる何よりの追悼の誠である。私はそう信じます。この国のために重圧と孤独を長く背負い、人生の本舞台へ続く道の途上で天に召された安倍晋三元内閣総理大臣。闘い続けた心優しき一人の政治家の御霊にこの決意を届け、私の追悼の言葉に代えさせていただきます。安倍さん、どうか安らかにお眠りください。
「おかえりモネ」は主人公が15歳で東日本大震災にあってから、その後の10年をいかに生きたかを描く物語です。それはそのまま、この世代の方々にこそ、この物語を見てほしいという願いを込めています。
企画の原点に、宮城県のとある中学校の生徒が、避難所となった体育館で、卒業式の答辞を読み上げている映像があります。涙を流しながら、「自然の猛威の前には、人間の力はあまりにも無力で、わたくしたちから大切なものを、容赦なく奪っていきました」と語り、「見守っていてください、必ずよき社会人になります」と決意と覚悟を宣言していました。深く感動すると共に、苦しくもなりました。この子たちは、私たちがそうであったように、間違ったり回り道したり、くだらないことに必死になる自由があるだろうかと。あなたたちはどこで何になってもいいのだ、それをどうか忘れないでと願わずにいられませんでした。亀島のモデルとなる気仙沼大島の中学生たちは、船というライフラインが絶たれた中、給食室を開け、およそ一週間物資の供給がない中、プールの水を濾過するなどあらゆる手を使って島民の命を守りました。とにかく大人にならねばならなかった、希望にならねばならなかった子ども達の、その後の人生の奮闘や葛藤を見つめたいと思ったのが、企画の原点です。そして本来ならばその先頭に立って活躍していたはずなのに、自分の夢を優先させたばかりに、島に戻れず島を眺めることしかできなかったモネを主人公とし、あの時何もできなかったとひそかに悔やみ続ける多くの人々の思いを託すこととしました。
しかし翻って、この物語はなにも気仙沼の話にはとどまらないと思っています。いま災害級の渦中にあり、学生たちは今しか体験することのできない特別な時間をことごとく奪われました。私の娘も大学に入りましたが、入学式もサークル活動も、合宿も、何度も何度も企画するも潰され、ついに何もできないまま1年半が経過しました。こんなに若者が、若者としていられないのは、戦時中以来ではないでしょうか。それだけの災厄が降りかかる中、なぜか今の若い人たちは、私には穏やかに見えます。もちろん、悔しくてたまらない怒りをぶつけあぐねている方もたくさんいると思います。しかし、自分達世代やさらに上の世代とは違う、穏やかで優しい、どこか泰然とした心を若い方々に感じます。その正体は何なのだろうかと考えてきました。もしかするとこの世代の人々は、幼いころに東日本大震災を知り、以降災害に見舞われる気候変動の時代を当たり前に生きています。世界は理不尽であり、未来が唐突に激変することを知っています。デジタルネイティブとして情報を即座に取り入れ、世界の動きにも敏感ゆえ、このままでは世界は持続できない危うさについて考えています。人口減少のために、将来は自分たちの肩にたくさんの上の世代の生活がかかっていることも理解しています。
その上で、社会の役に立とうとしてくれているこの優しい世代の皆さんに、伝わればいいなと思っています。あなた達のことを見ているよと。決して勝手に「希望」と祭り上げることをせず、まずは私達世代が頑張るよと。だからあなた達はまず、自分の思う方へ、自由にやってみてほしいと。間違えたら戻ればいい。「モネ」に出てくる大人たちのせりふは、実は若い皆さんに向けての、かなり直接的なメッセージでもあります。彼らは常に正しい人間ではないし、弱い部分や欠点もある。でも子どもたちの未来のために、大人としてのきょうじを守ろうと「じたばたと」ふんばっている。そんな生き方をまずは見てほしいです。モネで描く大人世代の行動や思いは、作家の安達さんを始めとした、私たちの願いがかなり入っています。
小説家にも長年の熱心な読者は存在する。わたしは小説を書いて30年になるが、そういう読者に支えられて、今まで書いてこられた。だが、小説の読者は、芥川賞や直木賞や、あるいは他の賞の落選や「受賞作なし」で、選考委員に罵声を浴びせるツイートを連投したりはしない。少なくとも、わたしは目にしたことがない。小説に限らず、詩、俳句、短歌、童話、エッセイ、ノンフィクションなど戯曲以外の文学賞では「受賞作なし」の結果に対して、これほど猛烈な反発は起きないだろう。
何故、演劇界では反発が起きるのか?
候補となる劇作家は、劇団や演劇ユニットの主宰・演出(俳優)を兼ねている場合が多い。彼あるいは彼女には、候補作となった芝居に関わったスタッフ・キャスト、その劇団の観客も(1000人未満から1万人以上と幅はあるが)付いている。その劇団の公演を必ず観に行くという観客は、その作家の新作を必ず読むという読者とは性質が異なるような気がする。
小説の読者は、一人の小説家の作品だけではなく複数の小説家の小説を読む傾向にある。演劇のチケット代が、本代よりも高額だということも一因だろう。本だったら、お金が無い時には図書館で借りることも出来るが、演劇はそういうわけにはいかない。日時を決めてチケットを購入し、その日時に劇場に行かなければ観劇することは出来ないのである。招待客として無料で観劇出来る新聞各紙の演劇担当記者や演劇評論家とは異なり、一般の人が面白いかどうかわからない芝居のチケットを次々に購入することは金銭的にも時間的にも難しい。本の場合はつまらないと感じたら途中で閉じて、メルカリやヤフオクやブックオフなどで転売すればよいが、いくらつまらなくても芝居を途中で退席するのには勇気がいるし、つまらなかったからチケット代を返してほしい、と劇場の受付で訴えても返金されるケースはまれだろう。観客はリスクを避けるために、一度観て面白かった劇団の芝居を選びがちだ。その劇団の劇作家が Twitter やインスタをやっていれば、フォローするだろう。劇団側は観客動員数を増やしていきたいので、「ファン」や「推し」を囲い込み、サークル化していく。そのサークルの存在は、芝居や劇団にとっては重要だろうが、文学者としては邪魔でしかない。劇作家は、そのサークルの中に入ってはいけない。お仲間になってはいけない。徒党を組んではいけない。徒党を組む人というのは、限りなく貧相だ。貧相な文学者は、貧相な作品しか書けない、とわたしは思う。
東京の美術館やギャラリーがコロナによる緊急事態宣言で閉鎖せざるを得なかった2020年4月。僕は大きな窓のある恵比寿のMA2ギャラリーで、鑑賞者を入れない、外から観ることだけを目的とした展示をした。夜は一晩中明かりを付け、通りすがりの多くの人に観てもらった。SNSの告知を見てわざわざ足を運んでくれる人もいた。ふつうギャラリーの展示を窓の外から見るのは附属的なことのはずだが、ここには主体がなく、それしかなかった。するとふだん展示を観る美術好きの人と、通りすがりなたまたま覗いた人の立場が曖昧になり、「展示」というものが、より公平でニュートラルなものにリセットされたような感じがした。つまり「展示」という美術の形式を閉じることで、逆に美術が外の世界に開かれた、と言ってもいい。
同じ時期、多くの美術館では展示予定の作品たちが、鑑賞者に観られることのないまま、じっと息を潜めて再開を待っていた。東京国立近代美術館のピーター・ドイグ、東京都現代美術館のオラファー・エリアソン、そして東京国立博物館では国宝中の国宝である百済観音が、誰の目に触れることもなくそこに立っていたはずだ。その様子を想像したとき、狭義の「美術の死」の向こうに、なにかとてつもなく密接で、清涼な「新しい場所」が生まれていたのではないかと思う。
「新しい場所」は日常と境目なく繋がっている。それを事物の存在に関わる彫刻というジャンルに照らしとしたとき、「新しいリアル」に通じているように僕には感じられた。
豊かな言葉が、君の豊かな世界をつくる
国語って、何をする教科なのでしょう。日本語で書かれた本は読めるし、作文だって書ける。話すことはもちろんできる。生活は不自由してない気がするのに、なぜわざわざ学習するのだろう?もしかすると、「とにかく道徳っぽい、先生の喜ぶ読み方や書き方をしておけばいい時間」と思っている人もいるかもしれません。でも、国語の時間は道徳の時間ではありません。では、国語は何を学ぶ時間なのでしょうか。
そのことを考えるために、ちょっと、赤ちゃんだった時のことを思い出してみてください。君が赤ちゃんだったとき、たとえば「犬」でも「猫」でもみな「わんわん」と言っていなかったでしょうか。また、「バイク」も「トラック」も全て「ぶーぶー」だったのではないでしょうか。もしそうだとしたら、赤ちゃんだった時の君と今の君とでは、同じ1つの世界を見ていても、その見え方が全然違うような気がしませんか。赤ちゃんの頃に比べて、今の君に見える世界のほうが、ずっと複雑で豊かです。
どうしてそんなことが起きるのでしょうか。それは、赤ちゃんだった頃に比べて、今の君が、はるかにたくさんの言葉を知っているからです。豊かな言葉が、君に豊かな世界を見せてくれます。君の世界は、君の言葉が作ります。言葉こそが君の世界です。
国語の授業は、この言葉について学ぶ授業です。より多くの言葉を学び、より多くの本を読み、そこからより多くの考え方を知りましょう。そうやって、いま君の目から見える世界を、もっと豊かに広げていくこと。それが、国語の授業がめざすものだと、私たち教員は考えています。
言葉にも色々な働きがあります。自分の意見や気持ちを人に「伝える」働き。それを何か他のものにたくして「ほのめかす」働き。中には<凍てつく炎>のように、意味はよくわからないけど、言葉と言葉の結びつきから別の「新しいイメージを生み出す」働きもあります。私たちは、このうちのどれか1つというものではなく、全ての言葉の働きについて君に学んでもらい、自分の世界をより豊かにしていくことを望んでいます(入試問題にも、そのようなメッセージを込めているつもりです)。
ぜひ、多くの言葉を知り、君の世界を豊かにしていってください。私たち教員も自分の世界を広げていきたいと思っていますし、君の周りの友人たちも、きっと同じように思っているはずです。一緒に言葉について学び、考え、議論することを通じて、お互いの世界をより豊かにしていきませんか。授業への君の参加を待っています。
Q これまでで最も思い出に残る作品はあるか? すべての作品を通して伝えようと意識してきたメッセージは?
宮崎 一番自分の中にトゲのように残っているのは「ハウルの動く城」。ゲームの世界だが、それをゲームでなくドラマにしようとした結果、本当に格闘した。
僕は児童文学の多くの作品に影響を受けてこの世界に入ったので、基本的に子供たちに「この世は生きるに値するんだ」ということを伝えるのが自分たちの仕事の根幹になければいけないと思ってきた。それはいまも変わらない。
……(中略)……
Q 「この世は生きるに値すると子供に伝えたい」という自身の言葉について。
宮崎 自分の好きな英国の児童文学作家でロバート・ウェストールという人がいるが、彼のいくつかの作品の中に、自分の考えなくてはいけないことが充満している。その中にこういうようなセリフがある。「この世はひどいものである。君はこの世に生きていくには気立てがよすぎる」。少しもほめ言葉ではない。それでは生きていけないぞと言っている言葉。本当に胸を打たれた。
(「この世は生きるに値する」という言葉は)僕が発信しているのではなく、僕はいろんなものを多くの読み物や昔見た映画などからいっぱい受け取っているのだと思う。(それらを作った人々は)繰り返し「この世は生きるに値する」と言い伝え、ほんとかなと思いつつ死んでいったのではないか。僕もそれを受け継いでいるのだと思っている。
I’ve had a reverend in my local electorate say that the ‘gay onslaught will start the day this bill is passed.’ So we are struggling to know what the gay onslaught will look like. We don’t know if it will come down the Pakaranga highway as a series of troops or whether it will be a gas that flows the electorate and blocks us all in.
I also had a Catholic priest tell me that I was supporting an unnatural act. I found that interesting coming from someone who has taken an oath of celibacy for his whole life. Celibacy… I haven’t done it so I don’t know what it’s about.
I also had a leader tell me I would burn in the fires of hell for eternity and that was a bad mistake because I’ve got a degree in physics. I used the thermodynamic laws of physics. I put in my body weight and my humidity and so on. I assumed the furnace to be at 5000 degrees and I will last for just on 2.1 seconds. It’s hardly eternity. What do you think?
I also head some more disgusting claims about adoption. Well, I have got three fantastic adopted kids. I know how good adoption is, and I have found some of the claims just disgraceful. I found some of the bullying tactics really evil. I gave up being scared of bullies when I was at primary school.
However, a huge amount of the opposition was from moderates, from people who were concerned, who were seriously worried, about what this bill might do to the fabric of our society. I respect their concern. I respect their worry. They were worried about what it might do to their families and so on.
Let me repeat to them now that all we are doing with this bill is allowing two people who love each other to have that love recognised by way of marriage. That is all we are doing. We are not declaring nuclear war on a foreign State. We are not bringing a virus in that could wipe out our agricultural sector forever.
We are allowing two people who love each other to have that recognised, and I cannot see what is wrong with that for neither love nor money. I just cannot. I cannot understand why someone would be opposed. I understand why people do not like what it is that others do. That is fine. We are all in that category.
But I give a promise to those people who are opposed to this bill right now. I give you a watertight guaranteed promise.
The sun will still rise tomorrow. Your teenage daughter will still argue back to you as if she knows everything. Your mortgage will not grow. You will not have skin diseases or rashes or toads in your bed. The world will just carry on.
So do not make this into a big deal.
This bill is fantastic for the people it affects, but for the rest of us, life will go on.
Finally, can I say that one of the messages I had was this bill was the cause of our drought. Well, if any one you follow my Twitter account, you will see that in the Pakuranga electorate this morning, it was pouring with rain. We had the most enormous big gay rainbow across my electorate. It has to be a sign. If you are a believer, it is certainly a sign.
Can I finish, for all those who are concerned about this, with a quote from the bible. It is Deuteronomy. I thought Deuteronomy was a cat out of the musical ‘Cats,’ but never mind. The quote is Deuteronomy 1:29. ‘Be ye not afraid.’”
本日は、未曾有の大震災の傷も癒えない最中、わたくしたちの為に卒業式を挙行していただきありがとうございます。
ちょうど、十日前の3月12日、春を思わせる暖かな日でした。わたくしたちは、そのキラキラ光る日差しの中を、希望に胸を膨らませ、通いなれたこの学舎を、57名揃って巣立つはずでした。
前日の11日。一足早く渡された、思い出のたくさん詰まったアルバムを開き、十数時間後の卒業式に、思いを馳せた友もいたことでしょう。「東日本大震災」と名づけられる、天変地異が起こるとも知らずに・・・
階上中学校といえば「防災教育」といわれ、内外から高く評価され、十分な訓練もしていたわたくしたちでした。しかし、自然の猛威の前には、人間の力はあまりにも無力で、わたくしたちから大切なものを、容赦なく奪っていきました。天が与えた試練というには、むごすぎるものでした。辛くて、悔しくてたまりません。
時計の針は、14時46分を指したままです。でも、時は確実に流れています。生かされた者として、顔を上げ、常に思いやりの心を持ち、強く、正しく、たくましく生きていかなければなりません。命の重さを知るには、大きすぎる代償でした。
しかし、苦境にあっても、天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていく事が、これからの、わたくしたちの使命です。わたくしたちは今、それぞれの新しい人生の一歩を踏み出します。どこにいても、何をしていようとも、この地で、仲間と共有した時を忘れず、宝物として生きていきます。
後輩の皆さん、階上中学校で過ごす「あたりまえ」に思える日々や友達が、いかに貴重なものかを考え、いとおしんで過ごして下さい。先生方、親身の御指導、ありがとうございました。先生方が、いかにわたくしたちを思って下さっていたか、今になってよく分かります。地域の皆さん、これまで様々な御支援をいただき、ありがとうございました。これからもよろしくお願い致します。お父さん、お母さん、家族の皆さん、これからわたくしたちが歩んでいく姿を見守っていて下さい。必ず、よき社会人になります。
わたくしは、この階上中学校の生徒でいられたことを誇りに思います。最後に、本当に、本当に、ありがとうございました。
私たちは 水の惑星 地球と 海から誕生したすべての生命をたたえて 東京ディズニーシーをつくりました。
目前に広がる大海原を越えて たどりつく世界には 勇気と発見、想像とロマンスにあふれた冒険が あなたを待っています。 さあ 夢と感動と喜びの帆を揚げて 出航しましょう!
私たちは 絶えることのない 人間賛歌の聞こえる広場をめざして 東京ディズニーランドをつくりました。
夢と勇気と希望にかがやく 世界中の人びとの顔が この広場に いつも満ちあふれていることを 心から願って…。
われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。 われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。 ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。
……(中略)……
第三条(教育の機会均等) すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであつて、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によつて、教育上差別されない。
……(中略)……
第十条(教育行政) 教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
僕は丸の内の焼け跡を通った。ここを通るのは二度目である。この前来た時には馬場先の濠に何人も泳いでいる人があった。今日は――僕は見覚えのある濠の向こうを眺めた。堀の向こうには薬研なりに石垣の崩れたところがある。崩れた土は丹のように赤い。崩れぬ土手は青芝の上に相変わらず松をうねらせている。そこに今日も三四人、裸の人びとが動いていた。何もそういう人びとは酔興に泳いでいるわけではあるまい。しかし行人たる僕の目にはこの前もちょうど西洋人の描いた水浴の油画か何かのように見えた、今日もそれは同じである。いや、この前はこちらの岸に小便をしている土工があった。今日はそんなものを見かけぬだけ、いっそう平和に見えたくらいである。 僕はこういう景色を見ながら、やはり歩みをつづけていた。すると突然濠の上から、思いもよらぬ歌の声が起こった。歌は「懐かしのケンタッキイ」である。歌っているのは水の上に頭ばかり出した少年である。僕は妙な興奮を感じた。僕の中にもその少年に声を合わせたい心もちを感じた。少年は無心に歌っているのであろう。けれども歌は一瞬の間にいつか僕を捉えていた否定の精神を打ち破ったのである。 芸術は生活の過剰だそうである。なるほどそうも思われぬことはない。しかし人間を人間たらしめるものは常に生活の過剰である。僕らは人間たる尊厳のために生活の過剰を作らなければならぬ。さらにまた巧みにその過剰を大いなる花束に仕上げねばならぬ。生活に過剰をあらしめるとは生活を豊富にすることである。 僕は丸の内の焼け跡を通つた。けれども僕の目に触れたのは猛火も亦焼き難い何ものかだつた。