短歌
- 大雨で人の消えた丘はきっと、わたしのためにできたステージ
- 役目とかいつか消え去る その代わり駅に貼られたキャラが謝る
- きみはたぶんフィクションにしか生きられない だから託すと言うのだよ
- めでたさは祝詞によって立ち上がる 歳をとるのはdearのその後
- 年一回話すだけでも残しとく 角度を変えれば充電できそう
- 「おんなの」って付けなくてもね、身の程はわかってるから安心してね
- 意図しない愛ほど人を救うらしい シティホテルで貯めて100%
- 夢なんて信じてないけど光ってるコインランドリー、目がまわっちゃう
NotebookLM
Google NotebookLMには、PDF、テキスト、YouTubeなどを読み込んで、その内容についてリアルな対話ポッドキャスト解説を生成する機能があります。
2024年9月11日にローンチした時点では英語でしか使えなかったのですが、4月30日、ついに日本語対応しました。
https://www.techno-edge.net/article/2025/04/30/4325.html
これが本当にえげつなくて、人間を超えつつある感じがある。先週の日記を読み込ませるとこういうデータが出て来る。内容の要約だけじゃなくて、インターネット上から探してきた基礎知識的なものとうまく関連づけながら噛み砕いてくれている感じがある。たとえば「特典会」の概要や「関東大震災」というワードは本文には含まれていないので、探してくれたっぽい。
落合陽一
この動画がすばらしかった。
世界で一番面白いものを作らないと万博じゃないっていつもみんな思っているだろうし、こんなものは見たことがないと思っているものを作らないと意味がないっていうのが根底にあるスピリッツだと思うんですよね。だからたぶん70年万博の時はそれがすごく力としてあったんだろうなとは思います。
判子を押して発注をして、発注したものを発注物として納品されて、納品クオリティーが相手が満たす仕様になっていればいいという妥協が積み重なると、コストはかさむがクオリティーが低いという状態は常に起こってしまうので。そういったものじゃないだろうというのを僕は万博で思うこと。国が成熟したり、社会が成熟したりすると、いい加減では進まなくなってくるんですけど。本当はクリエーティブでいい加減で、だけど熱量があって、きっちりしてないが、やりきるしかないみたいな状況が一番面白いものが生まれると思う。それがいつの間にか契約と判子と納品と入札と、非常に多段構造の発注形式が生まれてきた時に、それでも熱量が失われないかどうかがポイント。結局のところ、熱量がこもったものは一体どこの誰が作っているんだと言ったら、現場で働いている人ですから。現場で働いている人と一緒になって汗を流してものを作れないと、なかなか面白いものは全然生まれない。
NewsPicsの落合陽一特集(リンク)も観たい……
ヒト・マニュアル
つばさプロモーションの新しい2人組ボーイズグループ「峯脇」(平均年齢15歳)の曲がすばらしい。中でもよかったのが「ヒト・マニュアル」。
とりあえず人の目を見ましょう
耳を傾けましょう
会わなきゃ会話じゃないそして現実を見ましょう
捨てたもんじゃないでしょう
時間は前しか進まない
ボーイズグループのプロデュースでは、こういった「本質っぽいことを子どもに歌わせたい」みたいな作用が働くことがあって、そういう時に良い曲が生まれやすい。
「10年後に歌ったときに」という想像しながら書くの、『硝子の少年』を書いた時に山下達郎が20年後でも歌える強度を築こうとした感じを連想させるもので素晴らしいと思う。
統合失調症
たとえば「いちごが赤いのは、もともといちごは赤ちゃんだったためだ」のような理解をし始める。全く関連などないのだが、一度この理解がなされると今度はこれが前提知識となる。
それで「いちごが赤ちゃんだったから、赤ちゃんの髪の毛は黒いのか(つぶつぶ)」「待てよ?つまり人間の髪の毛が黒いのはいちごのおかげか?」のようなことを真剣に考えてしまう。
ギャグならおもしろいかもしれないが、現実なので全くおもしろくない。
そしてあらゆることがわかり始めるので万能感が増す。全能感があり、他人を見下すようになる。
他人を見下すというレベルではない。他人が、知能の劣った存在・脳の回転が異様に遅い存在・猿のように見えてくる。会話不能な存在のような感じだ。
なぜなら自分が「明らかにすぐにわかってしまう」ことを、彼らは全然理解できないからだ。(他人から理解できないのはあたりまえだが)
自分が統合失調症にかかっていたときは「お前らの方が全員支離滅裂で統合失調症だ」と思っていた。
https://anond.hatelabo.jp/20250410030604
興味深い記事だった。こういうのをしっかり言語化できる人が言語化するのは大事。
懐かしいもの
写真で提示されたらはっきり思い出せるけれど自分で引っ張り出すことはできない懐かしい事物を記録しておきたいという気持ちがある。上のキャビネットタオルもその一例。通っていたプール教室にあったような記憶がある。ユザワヤ吉祥寺の屋上にあったラジコンサーキット場と大きなクマ、中野マルイの屋上に合った遊園地とかも懐かしい。
痛みを描いた作品
「弓ちゃんの悩みは、弓ちゃんにしか分からないので」このセリフが流れてきて、観てみたいと思った。NHKドラマほどそういうのを丁寧に扱っているものってない。
『センシティブ・ボーイ』という作品も流れてきて、(タイトルからして若干不安はありつつ)読んでみたいと思った。
関西旅行
5/1夜~5/9朝までの期間で関西旅行に行った。
往路夜行バス
- 23時25分東京八重洲ターミナルを出発。
- ミッドタウン八重洲の地下にあるらしいのだが、八重洲の地下街からの行き方がめちゃくちゃ分かりにくく、苦労した。夜行バスの旅情というのは不思議なもので、玄関口の顔をしていないところから全国へと広がっていく。少し転送装置みたいなところがある。

- 3列独立は使いやすい。GW直前ということで新幹線並みの金額になっているのだからそれぐらい教授でいて当然である。
- 早く並んで容赦なく席を倒す。荷物を一部上に上げてしまう。靴を脱ぐ。できるだけ楽に過ごせるよう一つずつ整えていく感覚は楽しい。
灘校文化祭
- デザインの質は明らかに高い。パンフレットにもバリアフリールート記載があるなど意識が行き届いている印象がある。
- 全校生徒数に対してブース数が多い。ステージも複数箇所にあって、大学の学園祭の趣。外装がない、ビラがないなど宣伝面は簡素な印象。ポスターを見る来場者が多かった。

1年生企画
- めちゃくちゃいい企画だった。ところどころ泣きそうになるぐらい。文化祭に憧れて中学を目指した初心に帰らせてもらいました。
- 1年生が学校を選んだ理由に文化祭の雰囲気をあげていた。
- 1年生に向けて上級生が言う言葉が、「好きなことを躊躇せず突き詰めて欲しい」とか「信頼できる友達を作って欲しい」とか、自分にも刺さるような良さだった。良い学校だ。勉強をもう少ししろみたいなことではなく、そういう方向のことを言ってくれる感じ。
- 中でもよかったのが、灘に入ってよかったこととして、「凡人であると気付かされること」と言ってたのがよかった。凡人かもという危機感で頑張れる、とかではなく、「気づく」という表現を選んでくるその知性に惚れてしまう。まだ入って1ヶ月でそれを言語化できてるのもすごい。露骨な知性っておそらく知性ではなくて、こういうのこそ知性なんだろうなと思う。
東北企画
- 少しお話しさせていただいた。震災当時4歳だけどなんとなく興味を持って沼落ちしたらしい。本当に頑張って欲しい。
K-pop
- 気軽に企画を立てられるのは良いことと感じた。賢い人が書く長文のオタク文本当に好き。

ステージ
- 「ODORIBA」というダンス企画で、ヨジャドルの曲を女装とかおふざけ要素なしで、めちゃくちゃクールにカバーしていたのがすばらしかった。良い時代だ。
京都
- KG+という展覧会をやっており見るなど。報道写真と広告写真の比較展示、よかった。

滋賀
- 琵琶湖の近くへ。水辺は情報量が少なくて落ち着くから好きだ。

大阪・関西万博
- 8:07 桜島駅着。駅の出口から完全に万博仕様になっていて、その規模感にびっくり。

- 8:37 バスに乗車。意外と列が長くてびっくり。バスは電気自動車らしいが、車内の広告を含めていたって普通。周りのお客さんにそこそこDオタらしき人がいて、層の重なりを感じるなど。桜島から万博西ゲートまでは15分程度。


- 8:52 万博会場西ゲートに到着。バスの車内から大屋根リングが見えると自分の中に高揚感が出て来る。ゲート前はとにかく空間が広い。めちゃくちゃ遠回りさせられてようやく列に並ぶ。

- 9:26 万博入場。並んでいた列のQRコードの機器にトラブルがあったらしく、思いのほか時間がかかってしまった。

- 9:40 当日予約端末にて、落合陽一館の予約を取得。また直後にスマホで、「アオと夜の虹のパレード」の予約を取得。
- 10:00頃 カタール館。
- 砂漠のイメージが強いが海とのつながりが強い国であることを強調する展示で素晴らしかった。展示を囲むように掛けられたカーテンが海の地図になっており、洒落ていた。


- 10:35 落合陽一館。
- 最初に展示室内に通され、映像を見せられる。人間がAIの台頭に対して抱く恐れを解くような内容だった。知性なんてものは人間の重要な要素でもなんでもない、これまでの人間像は幻想にすぎないと突きつけるものだった。少しばかり露悪的で、最後に新しい価値観を明確に提示することもしないので、投げ出された感じがすごい。これは誉め言葉でもあるし悪口でもあるが、40歳近くなった人が仕切っている割には、若さと言うかアングラ学生演劇感みたいなものがある。
- 一部の人はAIと対話する時間があったが、あまり十分な時間がなく、掘り下げられていないように感じた。AIとの対話よりも「蹂躙される感」の演出が展示の本質なので確かに正しいのだが、とってつけたインタラクティブ感のように見えてしまった。
- キャパシティはかなり少なく、予約は取りづらいのだが、正直この規模感が限界の大きさなのではないかと思った。展示室内で体験している途中には、たくさんモニターを配置してそれぞれが同時多発的にAIと対話できると面白い体験になるのではと思ったのだが、そうやって展示室をあまり大きくしすぎると、展示室外から見たときの箱庭感(今人間がとらわれている世界観の滑稽さ)みたいなものが伝わりづらい気がする。ソアリンみたく、展示室数を純粋に増やすぐらいしかない気がする。
- 入力した情報をもとに自分がAIになる感覚というのは、正直蹂躙された感がかなりある。しかし、この展示では、「その感覚の中にはただ単にAIにとって代わられる不安も含まれていませんか?」と突きつけられたような感じがした。
- 大きな物語のことを「おはなし」と言い換えて、その統合がうまくいかず戦争もいまだ絶えないということにはっきり言及しているのは素晴らしかった。結局そういう統合を図ろうとしながら戦争を止められずにいる人間の役割も解体されれば、争いもなくなるかもしれないという可能性を示唆するような感じがあった。
- 退室時に三波春夫の「世界の国からこんにちは」をAIによって編曲した「さようならヌルの森よ」が流れていた。死者の歌声をいじるというのはまた倫理的にギリギリな話ではあるが、普段落合陽一の作品を観に行くわけでもないような層が見に来うることを意識すべき場で、万博と結びついた有名ソングの引用をするのはかなり分かりやすくて良い選択だとは思う。ただ、世界一おもしろいものを作ろうというスピリットを受け継ぐ(落合氏談)という意味であろう1970年万博の参照が、単に「古き良き」高度経済成長期へのナイーブな憧憬と見分けがつかないという点への意識は少々不足しているようにも思う。
- 展示室を出た後、次の時間帯で予約している観客が映像を見る様子を視点を変えて眺めることができる。初見の戸惑いとかを観られて楽しい。展示室はマジックミラーで囲われているために、こちらからは展示室内の観客が見えるもののあちらからは見えず、上位存在になったような気分になる。ただ、展示室外でのみ流れる落合陽一の音声解説は(ある程度意図的かとは思うが)かなり聞こえづらかった。音声解説に続いて、4月28日に日本語版がリリースされたばかりのNotebookLMのポッドキャスト生成機能での解説が流れた。「わかる人にはわかる」タイプのアップデートが日々重ねられている感覚があった。
- 前述の楽曲や、映像内でのミャクミャクの使用をはじめ、最大限大衆への到達可能性を考慮しているように感じられたが、やはり映像の理解には映像内に出て来るテキストの意味の理解が欠かせず、客層と展示内容との間にはギャップがあり、ちゃんと読めていない客層に苛立ちを感じる部分はあった。壁面に触れないでくださいという指示などは、未就学児にはかなり厳しく、年齢制限は設けるべきなのではないかと思ってしまった。


- 12:30頃 ハンガリー館(約30分待ち)。
- 展示はごくわずかで、メインは歌唱ショーだった。両者のビジュアルデザインに白を基調とした統一感があったのが特徴的だった。
- 展示はクリスタルアートと、すずらんを模したランプでかなり美しい。詳しい説明はなく、歌唱ショー会場のホワイエとしての位置づけになっていると感じた。
- 歌唱ショー入り口の扉に「あと◯分」という文字と注意書きがプロジェクターで映し出されており、こういう使い方は面白いと感じた。これは万博の様々な場所で観られたことだが、往々にして日本語翻訳にネイティブチェックが入っていないので「静かに!」という絶対に使わない注意書きが表示されていて笑ってしまった。
- 歌唱ショーは、照明による演出も凝ったつくりになっていた。
- 地理歴史などいくらでも調べられる今の時代、どのパビリオンも、現地で観る価値のあるものを追求している感がある。そうすると、この歌唱ショーのように本物である(現地の人が演奏している/レプリカではない)ものか、個別の体験が用意されている(インタラクティブ性)ものを作らざるを得ない。個人的には後者は甘いというか、すごく「楽な道」であるからあまり良いとは思えない。前者のように、一方向性を持ちながら現地で観る価値を担保できているものは素晴らしいと思う。



- 13:30頃 イタリア館(約60分待ち)。
- かなり炎天下で待たされ、しんどさがあった。
- 最初にシアタールームに通される。特にこれといった特徴のない動画だったが、終わると投影面の壁面ががばっと開いていきなりファルネーゼのアトラスが見えるという仰天の演出。観客席からも「おぉ!」と声があがっていた。時間をうまくコントロールして、アトラス像がある展示室内の人が少なくなったタイミングで映像を開始しているようで、本当に上手い。
- 大屋根リングに対するリスペクトなのか、木組みの飛行機が展示してあって素晴らしかった。建物も木であることを強調したデザインで、付け焼き刃的でない感じが良かった。
- ダヴィンチ直筆の草稿を見る列とエレベーター待ちの列が一体化しているなど、動線に少々難があった。正直アトラス像以降のところはもう少し展示室を広げてほしかったように思う。とはいえ文化的価値がかなり高いものをふんだんに持ってきているのは素晴らしい。もうすぐミケランジェロの「復活のキリスト」も来るというから驚きだ。
- QRコードをスマホで読まないとまともな解説文が見れない(例)のはちょっと勘弁してほしい。たぶんこのリンク先もいつか消えてしまうし……



- 14:30頃:ベルギー館でお土産だけ購入(約10分待ち)。
- 貴重なチョコが売っているということでバズっており、ギフトショップ専用の列が設けられていた。
- 館の手前には夜間の投影用のプロジェクターが設置されていた。イタリアのProietta社製らしい。夜間稼働時には室外機ぐらいの音を立ててファンが回っていた。


- 15:30頃 台湾館(約20分待ち)。
- 「TECH WORLD」という企業パビリオンの体で参加している。展示の文中では台湾という文字は使われていないが、解説員は普通に台湾と言う。
- 最初に、パビリオンの概要説明がてらスマートウォッチ的な何かを渡される。しかしこれは最後一瞬だけ使うだけ。途中はあまりインタラクティブな要素は多くなく、映像を見せられ続ける。これはかなりチャレンジング。
- 展示室は3つのパートに分かれている。ライフ、ネイチャー、フューチャーとのこと。
- 最初のライフのところでは、台湾の生物多様性を見せられる。そこで使われるシステムがかなり謎で、数百台並んでいるスマホみたいな画面がうにょうにょするというかなり気持ちの悪い形になっていた。何の意味があってそんなことをするのかが本当に分からなかったが、なんかすごいので感嘆していた。
- 次のネイチャーのところでは、台湾の雄大な自然を360度スクリーンで体感できる。下からスモークも出て来るという凝った仕様。ヒノキの匂いも漂っていたらしいが自分にはわからなかった。また、透過スクリーンに蝶々を写した胡蝶蘭の展示も美しかった。ホタルを再現したトンネルも素晴らしい。
- フューチャーのところでは、半導体が敷き詰められた画面の前で手をかざすとその半導体が徐々にはがれていき、その後ゴリゴリのAI生成映像による少女とAIの会話が流れるというだいぶ謎のコンテンツを見せられた。
- 最後に、脈拍の変動を見て一番気になっていたテーマを特定し、それに合った台湾の旅行プランを提案してくれるというかなりのダイレクトマーケティングを受ける。コンテンツの意味不明度に合わせて脈拍が変化していたようで、めちゃくちゃライフに興味がある人として認定されてしまった。
- パビリオンを出る時には日替わりのお土産が渡される。何なのかが一切説明されないまま渡されるのでかなり怖い。開けてみたらハンカチだった。ちゃんと言ってほしい。
- 設置されているプロジェクターはベルギー・Barco社のものだった。なぜこんなグローバル展開している企業があるのにベルギー館では使っていないのか謎。










- 16:15頃 サウジアラビア館。(約15分待ち)
- 入ったところでちょうどショーをやっていた。演者がなんかヘラヘラしていて良かった。
- 中ではMaryam Tariq(マリアム・タリク)さん(Instagram)というアーティストのプロジェクションマッピングの実演が行われていた。アラビアの文様をモチーフにした実演で、音楽の生演奏と合わせてその場で操作するのが面白かった。マリアム・タリクさんが使っているものとしてメイキング動画内に出てきたのが、MadMapperやTouchDesignerといった、プロジェクションマッピング界隈ではおなじみのもので気分があがってしまった。
- この実演の運営が適当で、「この後なんかやる感じ」だけ出している会場で特にアナウンスもせず人が集まってくるのを放置した挙句、やっと始まったと思ったら人が集まりすぎたので解散してくださいという指示を出して人を追い払ってみたり、断りもせず観客の目の前に行って公式写真を撮影したりと、かなり粗雑なものになっていた。




- 18:00頃 ミャクミャクぬいぐるみくじ(30分程度待ち)
- 明らかに安いということで話題のミャクミャクくじに並んだ。結構な頻度で2等以上が当たっている様子が散見され、期待したらちゃんと2等が当たってびっくり。同じぐらいのサイズを普通に買おうとすると8000円もするみたい。
- 18:10頃 お土産購入(待ち時間なし)
- 公式グッズのミニ風船をゲットした。
- 18:30頃 コモンズC・ウクライナ(待ち時間なし)
- ウクライナの詳細な展示を見る列があって、そこは25分待ちぐらいになっていた。時間がなかったので遠巻きに見るだけにすることに。銃弾が貫通したサイレンが衝撃的だった。


- 18:45頃 コモンズD・パレスチナ
- 戦争に関する展示はなく、民芸品など。解説員の方が熱心に、パレスチナ人であるというだけで差別される状況下で女性たちが必死に見つけたのが繊維などの民芸品の製造業という仕事であるという話をされていた。
- 観光案内が配布されていたのでいただいた。

- 19:00頃 予約を取れていた「アオと夜の虹のパレード」の観覧席へ。
- 技術面について
- ディズニーのようなIPの強さがない中で、技術的なレベルだけはなんとかディズニー並みを担保しているように感じられた。ウォータースクリーンや噴水は2010年代にディズニーがやっていることではあるが、そこまで既視感はなかった。レーザーとウォータースクリーンを組み合わせるなどの斬新さもあった。
- ドローンをこのショーの中に組み込めていれば、もう少し公演時間を伸ばして脚本を丁寧に魅せられていたような気がする。少しワンパターンになってしまった感じがある。
- 音響がすばらしかった。予めショーをやるためだけに設計されたであろう空間であるがゆえに、必ずしも東京ディズニーシーのハーバーショーよりもサラウンドが美しく仕上がっていたように思えた。とりわけ怪鳥(ドードー)が飛来するシーンの音響は映画館のようで、鳥肌が立つ。しかし、音が大きすぎる部分があったり、予約エリアの外に出るとほとんど聞こえないなどの問題もあった(東京ディズニーランドのプロジェクションマッピングのような広範囲での鑑賞の想定が弱い)。
- 運営について
- 19:30スタートと銘打っているのに19:30から始まらないのはやや困惑した。
- 予約席の指定なしが当初は気になった。おそらく指定すると案内のオペレーションが回らないから指定にしているのだろう。これといって不都合は感じなかったので、この運用でも問題ないように思う。
- 鑑賞サポートシステムを大々的に入場列付近に張り付けてあるQRコードや、アナウンスで宣伝しているのは素晴らしかった。
- 技術面について

- 音楽について
- 菅野よう子感があるなと思ったらちゃんと菅野よう子だった。天皇即位記念の国民祭典といい、ナショナルイベントといえば菅野よう子みたいになってきている。個人的には久石譲にやってほしかった。
- オーケストラを使った華やかなショーらしい部分と、ひとりで歌うおとなしい部分(音数も少ない)とのメリハリがついていたのは素晴らしかった。
- 脚本について
- 「夜の虹」というキーワードを開演前のアナウンスの時点で最初に出してしまっていることが気になった。そこに着地するという確実性による安心感を観客も求めているのかもしれないが、入り口と出口の高さが変わらない感じが少し不格好だと思う。
- ストーリーの流れは以下の通り。
- 【起】おばあちゃんに歌と夜の虹の伝承を教えられる/出かけるとたまたま怪鳥に出会う
- 【承】怪鳥とそのほかの精霊たちと祭りを楽しむ
- 【転】邪魔者が来る
- 【結】歌を歌って虹が出る/怪鳥が復活するも別れが来る
- 明らかに公演時間が足りていないというか、各キャラクターを掘り下げ切れていない感じがあった。
- アオが少年なのか少女なのかいまいちよく分からないし、説明もない感じはとても良かった。勇敢さも繊細さもある感じで、バランスの取れたキャラクター造形だったと思う。
- 突如現れた邪魔者の正体がよく分からなかった。これを、人間の業みたいな解釈が可能なように描ければもう少し社会的な感じにできたはず。
- 怪鳥と最後に別れる/忘れるという結末にしたほうが後味に深みが出るのは確かにそうなのだが、ラストの忙しなさが気になってしまった。
- このストーリーラインで考えれば、おばあちゃんはおそらく子供の頃に同じような経験をして、その時に歌を怪鳥ほか精霊に教わったのではないかと思われる。それを匂わせるようなセリフを冒頭に入れておけばより良かったのではないか。おばあちゃんが単に都合の良い存在として登場させられただけに見えてしまう。せっかく夏木マリを起用したのだからもう少し活かせたのではないだろうか。「おばあちゃんはそれを誰に教わったの?」「うーん、小さいころから知っていたのだけれど思い出せないのじゃ」みたいなひとことだけでも。実はすでに触れられていて聞き逃していただけなのかもしれないけれど……
- 宮崎駿作品的なストーリーライン(生きて帰りし物語)+新海誠作品的なモチーフ(アニミズム/水/神道的な伝承)で形成されているように感じられた。強いて言えば、『千と千尋の神隠し』での髪飾りや、『君たちはどう生きるか』での石のように、もう少し「アオが怪鳥のことを忘れずにい続ける可能性」とか、「アオが単に最初の状態に戻るわけではなく何かしら成長したこと」を示唆するような何かがちょっとでもあると良いように感じられた。
- 「水と空気の記憶」みたいな、明らかに協賛のダイキンとサントリーの意向を踏まえたストーリーラインにさほど関係のない言い回しがやたら強調されているのはあまり良くない気がした。そういうのを強調させようとする(もしくはクリエイティブの人間が忖度する)の、悪い癖だと思う。「水と空気のスペクタクルショー」と銘打ってるのだから、もう少し地球のありがたみみたいな話をして、がっつり関わらせるのかと思っていた。これはいちゃもんだとは思うが、虹というモチーフをきちんとした説明なしに出す安易さもちょっと好みではない。
- 怪鳥が関西弁を喋るので、シリアスなシーンもシリアスになりすぎず、ジブリにあるような湿っぽさがほとんどないのが独特で面白いポイントだった。この点は評価できる。普通に上手くて、友近が声優をやっていることには気づかなかった。おばあちゃんとかアオが関西弁を喋らないのだから、アオの生きる場所を単に関西にしているというわけではなく、怪鳥と精霊たちの世界≒生命が躍動する大阪万博みたいなところがあるのだと思われる。おばあちゃんが1970年万博を子どもの時に経験した者(にしてはかなり年を召しているような描かれ方ではあるが)みたいな。
- そもそもの舞台設定として、かなりミニマムでフィクショナルな話というか、「いのち輝く未来社会のデザイン」という万博のテーマからの乖離が激しいと感じた。生命の美しさとかよりよい未来などという壮大かつ社会的・普遍的なテーマではなく、セカイ系というか、少女の成長譚という日本のアニメーションの文脈がかなり濃かった。
- 突如現れた邪魔者の正体がよく分からなかった。これを人間の欲望みたいな解釈が可能なように描ければもう少し社会的な感じにできたはず。



- 20:10頃 シャイン・ハットで行われるプロジェクションマッピングを数分観覧。
- 投影面が曲面であるということ以外それほど特徴のないものだったので、正直映像が映画的になってしまっていて、あまり面白くなかった。

- 20:15頃 フランス館。(15分程度待ち)
- 個人的には一番好みに合わなかった。俗っぽい感じが強かった。
- ヴィトンなどの有名ファッションブランドを前面に出した展示物が並び、そこにロダンの像が添えられているような感じだった。見栄えは良く、展示物単体を撮りがちな他のパビリオンと比べて、自分自身やミャクミャクのぬいぐるみなどを交えた記念撮影が多く行われていたが、あまり良い風景だとは感じなかった。
- 日本の鳥居などをモチーフにした展示もあったが、フランスの文脈に取り込まれている感じがあり、あまり開催国へのリスペクトは感じられなかった。



- 20:57頃 One World, One Planet(ドローンショー)。
- 初めてドローンショーというものを鑑賞した。あまりにもすごい。夜空に自由自在に絵をかける感じがして、嘘のように思えてしまう。皆が一堂に会して空を見ている瞬間があまりにも素晴らしくて、めちゃくちゃ泣いてしまった。
- ただ、あまりにも何でもできすぎて、プロジェクションマッピングや花火のような制約があるがゆえの「頑張り感」「血の通ってる感」みたいなものは薄いと感じた。結構早く飽きられるコンテンツなのかもしれない。


- 21:15頃 会場の外へ。
- ポルトガル館の2階から盛り上げているスタッフがいて良い風景だと感じた。
- 誘導する警備員もゴリゴリ関西弁を使っている人が結構いて面白かった。

- 22:10頃 京阪乗車。
- +500円で乗れるプレミアムカー、めちゃくちゃ良い。あとは車内販売があれば完璧だ。

- その他会場内で気になった景色など。まずは大屋根リング。国立競技場のような大規模な計画変更なくここまでこぎつけられたのは本当に良かった。本当に大きすぎてびっくりする。





- パビリオンの奥に山々が見えるのが美しかった。

- 会場中央付近にある「いのちパーク」ではミストがえげつない量噴射され、本当に何も見えなくなる。普通にあり得ない量すぎて笑ってしまった。また、大屋根リングとともにかなり綺麗に対称に作られているので、「アオと夜の虹のパレード」の公演中はとても綺麗にその様子を見ることができる。


- 入場はしていないがスペイン館の大階段が特徴的でよかった。修学旅行生が駆け上がっていたのが印象的。

- また、コモンズで遠目から見たクロアチアの展示も特徴的だった。吊り下げるって、良い。

- 個人的に一番良かったのは落合館で、次点でイタリア館、台湾館といったところだろうか。前評判が良かっただけに、フランス館の残念感が強かった。
復路夜行バス
- 23:30 京都駅八条口発。
- 往路と比べて設備が少なく、前後のお客さんの様子がはっきり見えてしまうタイプの車両だった。でも5000円でこのレベルが担保されるなら全然良いだろう。
- 3列独立で、真ん中の列と端の列ってあまりにも体験価値が違うと思うのだけれど、座席指定料がせいぜい500円程度しか変わらないのは普通に怖い。
クィアコンテンツ
BL作品
昨年放送されたドラマ『未成年~未熟な俺たちは不器用に進行中』について言及されているこのツイートが印象的だった。
後半にはあまり賛同しかねる部分もあるのだが、「透明な水に男性2人の同じ向きに重なる素足」というような映像表現が存在しないことについて言及している部分が良かった。BL作品の実写化についてよく言われる話ではあるが、男性同士の性表現というものがオープンな場にはあまり出回っていないから、それをはっきりと存在させることにはかなり意味がある。
とはいえ、ここで言及されている『未成年』の映像表現はアフターストーリーという配信限定のコンテンツの中のもので、そこまで不特定多数には到達しうるものではない。この『未成年』という作品は、地上波で流せるラインと配信でしか流せないラインの境界線が結構分かりやすく見える作品であった。たとえば、地上波最終回では「結婚」に言及されるが、詳細は語られない。しかし配信になると、「法律が変わったら」というセリフが挟まり、婚姻の平等がいまだ実現していないことがはっきりと示される。
話は変わって、最近売れている『能美先輩の弁明』について。哲学科を舞台にした作品ということで、光文社古典新訳文庫とのタイアップ広告が挟まっているらしい。素晴らしすぎる……
こういった素晴らしい作品がある中で、それらを紹介するサイトの態度には問題も指摘されている。
さすがにそろそろ攻/受概念に対してもBLそのものにも考察がなさすぎるのが看過できないレベルになってきたなちるちる。どう見ても日本のドラマ中心なのに中途半端にタイ俳優入れてんのもリスペクトなくてすごく嫌。ほんと、作品にも俳優にも文化にもとにかくリスペクトがない。
https://x.com/QueerLovesBLGL/status/1920838717817700672
「ちるちる」というサイトがちるちる映像大賞2025と題したアワードを開催しているのだが、そこで「受け俳優」「攻め俳優」というワードを使っている。受け役とかではなく、役者個人と受け/攻めを結び付けていること、そしてそもそも「受け」「攻め」という男女二元論の再生産でもある概念を使用することへの躊躇のなさなどが問題視されている。ちるちるは元々そういう部分が雑というか、「腐女子」という言葉の執拗な使用など、かなり現在の社会環境にそぐわない形でBLを消費する姿勢が散見されるサイトで度々問題が指摘されているが、今回のこれはまた一段とよろしくない。
クィア
飛ぶ鳥を落とす勢いの寺西拓人さん(timelesz)がFINEBOYSの最新号で取り上げられている。「国民の元カレ」と称され、いわゆる女性誌で妄想色の強い特集を多数組まれているが、男性誌であるFINEBOYSでも「“国民の元カレ”のテラニシくんが僕の部屋の“おとなりさん”だったら」という、同じような取り上げられ方になっている。
これがすごい。クィア的というか、本当に素晴らしい特集だと思う。同性をも魅了する女性アイドルに対して「ガールクラッシュ」という言葉が使われることがあるらしいが、この寺西さんのことを「ボーイクラッシュ」と称している人もいる。
言及するということ
そもそもなぜ何度も日記でクィアコンテンツに言及するかというと、あまりにも日常的な言及できなさが存在するからである。飲み会での会話とかはまさにそうだが、シスヘテロ男性の性欲の話というのはかなり大っぴらにされがちだ。それに対して、そうでない人々の性欲というのは徹底的に不可視化される。軽く好きになっている相手のそういう話を聞かされるのははっきり言ってたいへん苦痛である。
男の方が性欲強い、は結構なジェンダー神話じゃないかな。 男の方が性欲を大っぴらにしていい・するべき、女は性欲を隠すべき、があるのは確かに真。
https://x.com/hiraharakurita/status/1919323842624843896
「(ホモソノリがキツくて異性愛規範ガッチガチのマウントの取り合いばっかする)男だけで飲んでてもつまらない」ならよく理解できる
https://x.com/odebubu2000/status/1920976527199482350
ある種それの反動として、男性同性愛者の間の会話ではかなり露骨にそういう話題に触れることがある。それはそれで一種の連帯感があって安心もするのだが、自分はそれはそれで嫌で、あらゆる属性においてそういう話が不可視化されるという方向性での平等の実現を理想としているのだが、日常的な抑圧感があるとこういう日記の場でつい言及したくなってしまう。
ちょっとズレるけど今朝ちょうどゲイとゲイの非恋愛連帯物語を見たいと考えていたところ 男女の友情は成立するのか話じゃないけど、お互いを恋愛対象として見ることができる属性ではあるけど恋人ではなく友人として関係を持っている二人組にフォーカスを当てた物語が
https://x.com/omikanns/status/1920858623946678623
京都の大学生
先日の関西旅行で自治寮を訪れる機会があり、その建築のすばらしさに感動してきたところ。
——はじめに建物の基本的な情報について教えてください。
熊野寮には居室棟が3棟あって、それぞれA棟、B棟、C棟と呼ばれてます。 それに加えて食堂があります。 居室棟はそれぞれ4階建て、食堂は平屋で、全て鉄筋コンクリート造になってます。大学からは自転車で5分ぐらいですかね。一般的には近いという認識になると思います。ただ、なかには遠いと言ってる寮生もいます。
https://traverse-kyoto-architecture.com/2025/04/07/%e8%87%aa%e6%b2%bb%e5%af%ae%e3%81%a8%e3%80%81%e6%9a%ae%e3%82%89%e3%81%97%e3%81%ae%e5%a7%bf/2/
あと、京都で河川敷にプロジェクターを持ち込んで投影している様子がめちゃくちゃバズっていた。普通に東京でもやっていたりしたのでここまでバズるのはびっくり。
気になった言葉/コンテンツ
『クィア』
『クィア』、ジャンキーの中年ゲイが若い男に入れあげて、途中で幻想とかみたり街の様子を観察したりずっといろいろしゃべってるけど、相手を引き止めておくことはできず、ただ自分からも他人からも疎外されるばかりで、抱きしめてほしいのに冷たく拒絶されて大泣きするみたいな内容でつらすぎ
https://x.com/cement_thing/status/1919314505990865323
悲しすぎる。でも見たい。
ユニクロの広告

あまりにも良い広告だ。
「カワイイ」という言葉
ひらがながちゃんと書けないとか、そういう部分が自分の見ているアイドルにも少しあって、それをネタにしたり「かわいい」と言ったりすることに少し抵抗感がある。ちょっと下の漫画も良い描き方ではない(見放す感じというか、見下している感じがあるように感じられる)
記憶
“過去や未来を知らずにいわば瞬間という杭に繋ぎ止められて日々をすごす動物の生を、人間が羨望するのは、なぜだろうか。動物の幸福は忘却にあり、人間の不幸の根源は過度の記憶にあるのだ”
https://omocoro.jp/kiji/310038/?d=2025050623/
『これがニーチェだ』より
記憶が生きていく妨げになっていることは非常に分かる。最近は正直、脳に電極を刺してドーパミンを出し続けてくれれば良い仕事ができて良いのにな、という考えをうまく否定できずにいる。
昔のアミューズメントパーク
「ネオジオワールド東京ベイサイド」とか「ジョイポリス新宿」とか、バブル期の名残で作られたもののなくなってしまったアミューズメントパークというものが好きだ。
言語化の罠
「好きを言語化する技術」という本が出たときにも思ったけれど、好きは個人の好きに留まらず、社会において好きを発信しなくてはいけないという切迫感がこの社会にあるのだなあと感じた。
https://x.com/HasumiSuis/status/1920685267381371168
好きという個人的な感情が、否応なく社会に引きずり下ろされ、言葉にすることが求められる。
言語化するときに零れ落ちるものは絶対にある。この日記を将来読み返すときにもそのことに注意しなければならないと思っている。客観化しえないものを大事にしていきたい。
天才であるということ
>「こうして僕は平凡になった。僕の青春は終わり、このアルバムは完成した」
https://x.com/RomancingTrain/status/1920409058626121881
すごく刺さる言葉だ…
かつて彼は天才と呼ばれ、幼さ故の万能感に溢れていて、確かに無敵だった。
「僕は天才になるために麻薬をやる。そして天才であり続けるんだよ」とさえ言った。
その彼が、「平凡になった」のだ……
森博嗣は「人間は歳をとるほど頭が悪くなる」といったけど、青春、特別な季節の終わり、それはある種の輝きを失うことであり、大人になるということ、「普通」であるということ、多くの人々の心を理解すること。
https://x.com/RomancingTrain/status/1920410624435052715
有名なSF小説「幼年期の終わり」から引用すれば「もはや孤独ではない」ということだ……
どこから引っ張ってきた言葉なのかは特定できなかったが、刺さる言葉ではある。
少年よ神話になれ
長野凌大さん(原因は自分にある。)、ビジュアルがかみさますぎてすごい。
軍服
「波うららかに、めおと日和」がとても良い。本田響矢と芳根京子、とても良い。とても良いが、軍国主義との距離感について疑問視する声もあることを知った。確かにそれは正しい反応だ……。それを知ったうえで3話を見たところ、「軍服萌え」みたいなシーンがあり、ちょっと気になってしまった。