2020年、メインロゴデザインの道のり

色々あって、2020年はあまり万全でない状態で暮らしていたために、記憶が曖昧な部分が多い。「気が付けば2021年になっていた」と言ってもいい。記憶は消えていく儚さが美しいのであって、このまま自然に任せて徐々に忘れていくべきだと思う部分もあるが、何の足場もない中で立ち向かっていけるほど今おかれている状態は良くない。

また、せっかくそういう状態でやっていた人間が一番身近にいるのだから、そういう状態の人間が何を考え、何をしようとしたのかはちゃんと文章にしておきたい、残したいという個人的な興味ゆえの衝動がある。

そこで、2020年の7月から9月にかけてのメモ書き(絵が描けないのでラフの質が悪いですが…)等をここで成仏しようと思う。デザインの過程をある程度公の目に晒すというのは、正直なかなか怖い。「過程を見せるのは美しくない」という価値観の影響ももちろんあるし、無意識に手法を真似られるのが嫌だとか思っている部分もあるだろうが、それ以上に無防備な状態になるのが恐ろしい。それこそオリンピックエンブレム撤回騒動以後にデザインをするようになったのもあって、自分の全く意図しない方向に解釈が進むのではないかと思う部分がある。最終的な意匠を発表した時ですらどういう反応が来るのか怯えている(「似ている」等の指摘はもちろん、「良い」と「そうでもない」との差には特に敏感になる)のに、未完成な状態なんて言うまでもない。

仮意匠

4月中旬の段階で制作していた仮意匠については、大阪万博の映像や写真(ここらへん)を見ながら、一番目に留まったソ連館、および東京ディズニーランドのトゥモローランドにあるモノリスをモチーフにデザインした。仮意匠なので装飾への展開方法はなんとなくの想像程度で、さほど考えていない。

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オリンピックイヤーの文脈が活きなくなったとしても、2025年の関西万博に向けて50年前の大阪万博を引用すれば、祭典を祭典らしく彩ることができるだろうという気持ちもあった。

比率等を検討
黄金比円での意匠設計、切り方のパターン模索
仮意匠(最終案)
塗りと横位置情報だけ抜き出してスライドに活用する展開案(8月下旬)

まだこの意匠を設計している当時は「超えていく」など、比較的平時っぽいコンセプトが軸になっていた記憶がある。上の案が出る前の初期構想のメモを貼っていきたい。

ステージ設営に使う「台」を表した平行四辺形を散らす展開を検討
従来のステージの姿を超えていくニュアンスからスポーツブランド的な縦線を入れる構想も
超えていく線の形をSに寄せる案も
外部来場者のSNS投稿を見越したハッシュタグ展開を検討
最終案より前のブラッシュアップ過程。初期案はだいぶ酷い。

7月に正式な意匠を作ることになった際、最初に考えたのは仮意匠のアップデートだった。仮意匠はなぜか自分の能力以上の仕上がりになっていたので、一部をそのまま使ってしまおうという算段だ。そこで浮上した仮意匠の問題点は、展開性が弱い点と独自性に欠ける点だった(こう書いてみると劣悪である)。

独自性についての検討は、先々代までずっと独自性を重んじてきた文脈の中で、装飾への展開時の「映え」を意識した先代(2019年度)の意匠という一種の特異点をどう解釈するかの問題でもあった。先代を「新元号の意匠」または「二度目の五輪・万博文脈の嚆矢」とみなして2020年との連続性を意識すれば、独自性を捨ててでも継承することになる。しかし、「コロナ禍前」とみなせば先々代以前と2019年度のほうに連続性が見い出され、2019年度はただの特異点、または「コロナ禍前」「“2020年”が控えていた世界線」のフィナーレの範疇に収まる。

同様の問題は、テーマでも発生した。意匠のインスピレーション元となるテーマ「TOO YOUNG TO DIE」は、東京オリンピックが開催されるとされていた時期に発案・投票されたものだった。あくまでその時期まで確かにあった空気感をぶつけるべきか、それともコロナ禍の文脈を受けるか。再選出も十分手段として有り得たが、東京オリンピックがなくなったからといってそういう文脈の問題は傍から見れば些細なことである。そのまま続行することとした。

どんな時でも“ふつう”通りに華やかなエンタメを目指したいし、それを体現した意匠にすべきだという気持ちもよぎったが、自分の身に対してもあまりにも特殊なことが重なりすぎたことや、そもそも開催自体が危ぶまれる状況下では、ただ“ふつう”を示すのではなく、“ふつう”を諦めない、繋ぎきるというスタンスそのものをはっきり示すほうが望ましいと考えた。今思えば、テーマの次点「NEXTAGE」はオリンピックの文脈を意識した自分の案だったから、むしろこれが採用されていたら文脈の変更は困難だったような気もする。結果オーライ。

岡本太郎と「いのり」

コロナ禍になるずっと前、2019年の関西地域研究では、自分の強い希望で太陽の塔の内部見学に向かうスケジュールが決まった。

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ここで僕は、従来の万博イメージを覆し、土着性を漂わせる岡本太郎の世界観に圧倒された。

2月の休校発表時には岡本太郎のこの言葉がよぎった。

生きる瞬間、瞬間に絶望がある。絶望は空しい。しかし絶望のない人生も空しいのだ。絶望は、存在を暗くおおうのか。誰でも絶望をマイナスに考える。だが、 逆に強烈なプラスに転換しなければならない。絶望こそ孤独のなかの、人間的祭りである。私は絶望を、新しい色で塗り、きりひらいて行く。絶望を彩ること、それが芸術だ。

7月中旬に引き受け、対比構造を考えるより前の時点で(もし自分が担当するとしたら…の妄想の中でも)岡本太郎の要素を入れようという気持ちがあった。「芸術家ということがただの画家であることだとは思わないのです。全体的な普遍的な存在として生きるのです。そのためにも世界で起こった全てを知らなければならないのです」という岡本太郎の言葉も、「コロナ禍」を受けて作るという一つのテーマに合致していた。

太陽の塔は、大阪万博時テーマ館だったが、その地下展示(過去:根源の世界)のテーマは3つあった。「いのち」「ひと」「いのり」だった。この3つがあってこその祭りであると思い、これを象徴するシンボルを描きたいと思った。情勢が悪化するにつれて、現代的なテンプレートの中でどこか古代的なものを表現したいと考えるようになった。

「祭り」は根源の時代から、人間が絶対と合一し、己を超えると同時に己自身になる、人間の存在再獲得の儀式である。

7月18日に、「音楽の日」の放送があった。MISIAは東大寺から「さよならも言わないままで」など3曲を歌った。番組では、こんな紹介と話があった。

今回歌うのは、世界遺産、東大寺。奈良の大仏で知られるこのお寺は、今から1300年ほど前に創建。当時の日本は、大地震や疫病が大流行し、人々は大きな不安にさらされていました

MISIA「ここに足を踏み入れた瞬間にすごい力を感じて。何なんだろうこの力はって。やはり、人々が思い合って生きていけますようにって、それこそ力になりますよっていう願いが込められた場所なんだって。それをすごくここで感じたんだなって…。ここで歌う意義を改めて強く感じましたし、祈りを強く持ちました」

閉ざされた 街の中で
離された 人々の中に
時間だけが 止まったように 流れていくだけ
喜びが いつの日にか この扉を開けるまで

さよならも言わないままで / MISIA(作詞:MISIA)

この放送を見て、困難を鎮めようと建立された奈良大仏のようにこの時代の祈りのシンボルを描きたいという思いは、より強くなった。

一番最初に思いついたキャッチフレーズ「祭りは、祈り。」こそ字数の問題で使わなかったものの、最終的なポスターにもこのあたりのことを盛り込んでいる。「交歓」は大阪万博の「お祭り広場」のコンセプト(人類交歓の場)から取った。

今や「筑駒の文化祭といえば…」と名前が挙がるようになったあの企画から
これまでのステージにはなかったあんな企画まで、彩り鮮やかな12の企画を。
それぞれが壁を超えて同じ時間・空間を分かち合う、祭りならではの交歓を。
祭りは、過去と未来・人と人…様々なものの結節点。2020年の祭りの
りりしく繊細な炎を、ちょうど半世紀前の「祭り」にインスパイアされたお祭り広場で。

テーマを見る

「TOO YOUNG TO DIE」という言葉をまず意味でなく文字で見てみると、TOOとTOは感覚的に同じように見える為「YOUNG」と「DIE」の対比がはっきり浮かぶ。イメージで見てもその2語がいかに真逆であるかがよく分かる(全体の熟語としての意味では「若さ」の話をしているが、それは「死」あってこそ煌めくものであるという点を意識して、単純な対比構造として解釈した)。

当時よく聴いていた曲の影響で、生と死は胎内回帰を経て何度も繰り返すという意識が強くあった。また、疫病流行下にあって死者を弔う意識もあって、生と死の中間にある胎内回帰を描こうとするようになった。従来文化祭の最後で行なわれてきたダイブ(≒卒業)というのは胎内から飛び出してくること=誕生でもあり、飛び降り=若さの死でもある。ステージとは胎内であり、未来とは生と死が繰り返した先にあるという認識だった。

夕立の後に歌う 蝉のこだまは
新しい死者が残す 祈りの声か

生きる意味を奪い去られ 飛び立ってしまったよ
そこにはただ抜け殻だけ
踏み潰されてゆく

澄んだ水で泳ぐ魚
氷の上を滑るペンギン
大草原に眠るライオン
僕らのパラダイス(楽園)

どこに行けば あるのだろう 天国かな それともただ
母の背中で聴かされた あの幼い子供の 子守唄に揺られながら
海へ続く川に ホタルが消えてゆく

ホタル / KinKi Kids(作詞:吉井和哉)

岡本太郎の言葉で、「太陽の塔」を理解するキーフレーズとされている「人間の身体、精神のうちには、いつでも人類の過去、現在、未来が一体になって輪廻している」という言い回しがあり、それもこの考え方を後押しした。

また、ステージという場所・団体は、中心と周縁とのあわいにある。中心であるが中心ではない。文化祭の顔だが、文化祭の顔ではない。

テーマを見てそのように色々考えた形跡が、メモに残っていた。

そもそもこのようにはっきり要素を分離する方向にしていたのは、もともと垂れ幕を3~4つに分割して掛ける構想があったことも関係している。当初は、垂れ幕の間隔を計算して一定の角度の傾斜の線を入れ、大きく校舎を覆っているように見せようと考えていた(下は7月中旬当時のメモ)。

その後、「対比構造」からさらにコンセプトを深めることとした。①三角形の組み合わせ、多層性 ②有機的、生物的 ③(外)枠、伝達、連携、連帯、結節 という3つのテーマが挙がった。その中で、当時ちょうど本来の開会式付近だった関係でオリンピックを思い出し、聖火台も参考にしようという発想に至った。

最初のアップデート構想は、先程書いた「YOUNG」と「DIE」にあたる2パーツを設計して、それぞれ自由に展開するというものだった。聖火台をモチーフにしながら、抽象度を上げて普遍的なYOUNGとDIEのイメージを確立しようとした。

あくまでこの対比構造を描こうとする部分には、岡本太郎の対極主義(詳細後述)も影響している。

8月下旬へ

8月になり、数週間の休止があった。7月の案がいまいちしっくり来ていなかったため、購入した岡本太郎の作品集を眺めつつ、具体的な意匠を設計していくことにした。7月下旬の時点で垂れ幕の分割が難しくなっていた(できても2分割という形になっていた)ため、1枚の中にテーマに関する要素を収める必要があるという問題になり、「胎内」という中間領域はコンセプトから削除し、「死」対「生」の対比に終始することになった。

最初のほうに「要素を入れる」と書いたが、正確に言えばこれは岡本太郎の作品の要素を再解釈して現代のグラフィックデザインの文脈に落とし込むことにあたる。岡本太郎は、いわゆるデザイナーではない。しかし、岡本太郎は『対極』を描く芸術家である。時にその絵画は構図が明瞭であり、構成するパーツにも一定の法則性が見いだせることがある。

例えば、第五福竜丸事件を描いた「明日の神話」には、中央に炸裂した原爆の姿が描かれているが、炎は右側に伸びており、左側には比較的明るいタッチで人々の姿が描かれている。この左側の人々(生命)の描き方は、他の作品にも共通している。

明日の神話保全継承機構
明日の神話
◎東京五輪参加記念メダル 東京オリンピッ…:聖火を再び・昭和39年東京五輪 写真特集:時事ドットコム
東京オリンピック参加記念メダル
躍動の門
樹人》制作風景!! : PLAY TARO | 太郎と遊ぶ、太郎で遊ぶ。岡本太郎を中心とした新しいアートサイト
樹人

垂れ幕は、まさに「明日の神話」のように『死 / 困難』対『生 / 躍動する人々』の構図を描くことを決めた。岡本太郎の対極主義とは相反する2つを共生させるもので、そのぶつかり、一種の不協和音が大きな特徴といえるものだったから、それを表すことを意識した。当初は上下の端に入れる予定だった文字も、対比を際立たせるために、中央に配置した。また、大阪万博の文脈を際立たせるため「お祭り広場」の名称を入れることにした。

実際に検討を重ねていった過程と、その参考となった作品を並べていく。

炎・太陽といったイメージ(7月下旬の「YOUNG」意匠をそのまま引き継いだ案)
カコ・トワ・イマの3点から文脈を整理した

最初は「生」「死」の2項に囚われずに太陽や炎、また(太陽の塔地下展示のテーマでもあった)「祈り」に関連して仮面的なものを直接表したものを入れようとしたが、しっくり来ることはなく……。

太陽の塔 | 自由帳
太陽の塔地下展示「いのり」

その後、「創生」のパーツを参考にすることを決めた。できるだけ単純なパーツの集合体にして、垂れ幕はその並び替えで表現しようと考えていた。

建築と美術の協同を再考『岡本太郎×建築』展 青木淳や名和晃平らの講義も - アート・デザインニュース : CINRA.NET
創生
「創生」をもとにブラッシュアップ。だいぶおどろおどろしい。

メモ上部に書かれている2種類の塗りつぶし方は、「よろこび」を参考にしている。

よろこび | 絵画など美術品の販売と買取 | 東京・銀座 おいだ美術
よろこび
「S」の文字を取り込む案も検討

「太陽の塔」を意識して、「生」「死」の対立を意識しながらも、人間を超越した存在である太陽をイメージした円を上に配置したこの案が浮上した。左右対称という方向性は近鉄バファローズのロゴの影響が強い。

近鉄バファローズ ロゴマーク

すぐさま右上に書かれている展開案は、パリ国際センターレリーフ「太陽と月」が原案である。

太陽と月

この案で軸になっていた太陽等の天体というテーマはステージがいつまでも明けない夜のように暗い状況を照らすような大きな存在になってほしいという願いによるものもあったように思う。このあたりの曲の影響もあるかもしれない(このあたりは全く無意識に影響しているかどうか…といった部分になる)。

夜明けの風に吹かれて どこまでも走り抜けた
確かなものなんてないけど come back get back
君の過去も今も未来も 何もかも引っ張り出して
困難な問題も難題も挑んで ここでやめんな やめんなよ
君がいなきゃ何も始まらない 合わせた手と手 掲げろ
止まらないで 止まらないでよ 僕らはまだ始まったばかりさ
途切れないで 途切れないでよ このまま夜が明けてゆくまで
太陽はきっと きっと この闇を 照らすはずさ

RUN / Sexy Zone(詞:渡辺拓也)

Show Goes On 目の前には未満の未来
Get Ready 是が非でも手に入れたい
Oath… 信じ貫けるかを試す時代
Shake Your Body, Crazy
Rock Your Body, Mazy Night
(Wow War Wow…)
生きてゆけない 独りきりじゃ
見上げたCrescent
With Buddy, Mazy Night

Mazy Night / King & Prince(詞:RUCCA)

その後細かい修正を経て、人が炎を抱きかかえるイメージをも有するような形(下記「A案」)となった。

ちょうどこの検討をしているのと同時期に、2025年関西万博のロゴマークが決定した。8月3日に候補作発表、25日に正式案発表だったから、まさに同時進行だった。ロゴについて、「岡本太郎っぽい」というツイートが散見されて、正直不安だった。確かに大阪万博~関西万博の文脈は意識しているが、ここまで重なって来ると面倒な話になりかねない。

それから色の決定に入り、生にあたるパーツは赤ならびに暖色で表現し、死にあたるパーツは青ならびに寒色で表現することを決めた(こうやって振り返ると、白黒でラフを描いてそこから色を決めがちなであることがそのまま配色が死にやすい欠点に繋がっているように感じられる)。

「太陽の塔」において現在を象徴する「太陽の顔」に赤色、過去を象徴する背面の「黒い太陽」に緑色が使用されていたこともあり、赤・緑案もあったが、補色であり同一意匠内に入れるのは適さないと考え、赤・青で解釈し直した。

垂れ幕の配色は、当初「青春」を参考にする予定だったが、昨年度の色味をおおむね踏襲したほうが文脈上バランスがとれると考え、断念した。

青春

これ以外も、ロゴでは「S」を軸とした案、校章に着想を得た案の2通りを検討していた。

展開性の点(詳細後述)が引っ掛かっており、それを解決するために、鍵括弧っぽい縁飾りを使う構想もあった。

既視感と新たな発想

いざIllustratorに起こしてみると、やけに既視感があった。バスの中で似たようなものを見たその記憶を慎重に探ってみると、TOMASのロゴに辿り着いた。人のイメージを左右対称に描く時点で似るのはどうしようもないのだが、なんとなく塾のロゴというのも癪だったので、変えることを考えた。

カリフォルニアにある元祖ディズニーランドのお城は当初の案に反対したウォルト・ディズニーに対して半ば冗談でそれを逆向きにした部下の案が採用された結果できたものだという話を思い出して、思いっきりひっくり返してみようと思った。

すると、もともとは火を意味していたラグビーボール形のパーツ(しずく形にする構想もあった)がうまく働いて感嘆符が浮かび上がってきた。これだ!と思った。従来のロゴは(原義的な)「お祭り」性は表現していても、ステージらしさがない。ステージの役割を体現するに最もふさわしい記号である感嘆符が中央に来たことで、説得力が増した。

「太陽の塔」のイメージこそ引き継げなくなったが、その分聖火台という7月下旬時のコンセプトが反映できるようになった。それまで太陽だった円は、7月下旬のコンセプトの「結節点」(初期案の「胎内」)を意味する円として機能するようになった。

しかし、今度は色の面でも既視感が出てきた。その正体は厚生労働省で、ちょうどCOCOAがインストールされていた頃だったこともあって、これと似ているのはマズいだろうと思った。

厚生労働省から離れようと生・死に相当するパーツに他の色も混ぜると、見栄えが良くない。そもそも、赤と青を同じ意匠に入れるという発想自体が「対極主義」の影響によるだいぶ無茶なものである。このあたりの大迷走っぷりは尋常じゃない。とはいえ、これはコンセプトの根幹を成すため、ギリギリまで赤・青を入れた案を温存し、装飾のみでこの案を使うことにした。

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最終案(丸く切り取る用)
垂れ幕の推移(左から右へ)

テーマロゴのほうではこの赤・青の使用を完全に維持した。「YOUNG」に赤を重ね、「DIE」に青を重ねる形を考え、重ねるオブジェクトは「太陽の塔」の左右にある波線を踏襲して設計した。

テーマロゴ最終案

バックパネルは、テーマロゴの組み換え、といっても「明日の神話」を全面的に踏襲した垂れ幕とは異なり祝祭性を示すような形での組み換えを行ってカーニバルっぽさを出す案(下は8月下旬のもの)があったが、左右のバランスをとることが難しかったこともあり、このテーマロゴの意匠を拡大・延長して貼り付けて、塗りの負担を抑えつつ、より古代的な異物感を持たせようと考えた。

バックパネルの左右でメインとなる並び方を変える構想にもとづいて展開絵柄をいろいろ描いていた
バックパネル最終案

展開性の改善

単純な4パーツで構成されていたラフと完成版の違い(中央のパーツの分解)は、途中で展開性の弱さが問題になったために生じた。

初期案
分解したもの、色は適当(この後、分解したパーツごとの間隔を空ける作業を行っている)

装飾への展開案はラフの段階で考えたが、企画ロゴ(円形)に設けようとしていた統一意匠もメインロゴ由来のものにしたいと欲張る気持ちが出てきた。そこで、「炎」に関する様々な意匠を調べて、中央のパーツを分解することを考えた。感嘆符のイメージはやや薄れてしまうが、あくまで展開性を優先した。

8月下旬の構想。
企画ロゴに導入する統一意匠の検討。FINALと10分企画は企画ロゴそのものを並び替える予定だったため、別個で検討した。

結果的に、ひっくり返した後よりも炎のイメージがより強く打ち出せて、かつひっくり返す前のように「炎」のイメージで固定された意匠にならない(感嘆符イメージも継承している)という意味で良いブラッシュアップができた。なお、後から分解を施している(装飾用の展開案を考えるラフの段階では分解していなかった)ため、垂れ幕の絵柄で行なわれているメインロゴの並び替えでは当初の大きいパーツを当たり前のように使っている。

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企画ロゴの左右にメインロゴ由来の統一意匠を入れた

おわりに

メインロゴ一個(と展開例いくつか)について、一気に振り返ってみた。

大きな反省点は、後から分解したパーツが思いのほか手強くて、白等の膨張色にするとパーツの間隔がかなり細く見えてしまう部分があったため、デザインマニュアルでは白抜きとそうでない場合とでロゴの本体を変えた(2パターン用意してまで細かいパーツを扱う必然性が本当にあったのか疑問が浮かぶ)部分にある。

こういう運用はあんまり良いやり方ではないけれども、企画への展開性を得られるメリットと比べればギリギリ小さいデメリットだろうと判断してこのまま突っ切ってしまった。

総括に載せた図

こういった形で展開性に振り切った方式が良かったのかどうかは後代が批判的に検証してほしい。デザインとは本来問題解決の手段であり、当然そこには前任者の仕事への検証を要する。

とはいえ、あくまで文脈に沿ったり逆に文脈に反発したりして意匠を設計する作業こそがデザインであり、そこには「センス」も「言葉遊び」も存在しないことは強調しておきたい。イメージの機微を見て操作する論理的な作業の積み重ねによるビジュアルコミュニケーション設計こそ、真にデザインと呼べるものだと思う。

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